略歴
三河国額田郡伊賀の生まれ。大草松平家5代目・三光の子。大草家は元々岡崎城主だったが、3代目信貞の代に安祥城主・松平清康に敗れて岡崎を明け渡し、同郡大草に移り大草松平と称されたという[4]。
信貞の孫ないし曾孫にあたる正親は、岡崎城主となった清康・広忠・元康の3代に仕えた。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いに従軍したが、丸根砦攻めで先陣を務めて討死した[注 1]。享年48[1][2]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 新編岡崎市史編集員会 編『新編岡崎市史』 中世、新編岡崎市史編さん委員会、1989年。
- 新編岡崎市史編さん員会 編『新編岡崎市史』 史料 近世 上、新編岡崎市史編さん委員会、1983年。
- 『新訂寛政重修諸家譜』 1巻、続群書類従完成会、1964年。ISBN (978-4-7971-0205-5)。
- 『寛永諸家系図伝』続群書類従完成会、2014年。ISBN (978-4-8406-3595-0)。