本居 春庭(もとおり はるにわ、宝暦13年2月3日(1763年3月17日) - 文政11年11月7日(1828年12月13日))は、江戸時代後期の国学者、国語学者。本居宣長の実子で長男。幼名は健蔵で父と同じ。
人物
幼少より宣長によって教育を兼ねた文献筆写を行わせられる[注 1]。宣長の口述筆記も行い、後の活用研究に大きな影響を与えたのが、20歳の時の『(活用言の冊子)』の筆記である。また宣長の調合した売薬の販売を手伝い、『古事記伝』の刊行が決定した後は、その版下書をしている。
寛政3年(1791年)正月頃に眼病を患う。しばらくは自宅で療養していたが、結果が思わしくないので、尾張国馬島(現在の愛知県海部郡大治町)にある明眼院などで入院加療を受けるが、病状は徐々に悪化する。寛政7年(1795年)の頃には完全に失明したと考えられ[注 2]、家督は養子となった本居大平に譲られた。しかし障害を乗り越えて、文化3年(1806年)3月頃、『詞八衢』を完成させる。この書は現代の動詞活用研究の原型を作った。
著作
- 『古事記伝目録』
- 『詞八衢』(1808年)
- 『後鈴屋集』
- 『詞通路』(1828年)
参考文献
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 本居春庭 - 本居宣長記念館