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木下 利彪(きのした としとら)は、江戸時代中期の大名。備中国足守藩8代藩主。足守藩木下家9代。官位は従五位下・(淡路守)。
略歴
7代藩主・木下利忠の次男として誕生。母は側室・松崎氏。幼名は富五郎。
明和3年(1766年)生まれとも、明和4年(1767年)生まれとも言われており、定かではない。兄・利寛の早世により嫡子となり、天明4年(1784年)7月27日、父の隠居により家督を継いだ。
文化人であった利彪は藩校・追琢舎を創設し、(秋山彦朔)を民間から登用して教授に任命するなど、文化的にこの治世で大いなる発展を遂げた。また、民間に対しても三余舎を設置して教育の普及に努めている。
しかし病弱なこともあって、寛政11年(1799年)8月9日に隠居し、家督を長男・利徽に譲った。そして享和元年(1801年)5月14日、父に先立って36歳で死去した。