岸野 牧夫(きしの まきお、1882年(明治15年)1月1日[1] – 1962年(昭和37年)4月21日[1][2])は、大正から昭和期の政治家。参議院議員、徳島県会議長。
経歴
徳島県[2]三好郡芝生村(三野村、三野町芝生[1]を経て現三好市)で、岸野藤三郎の長男として生まれる[1][3]。県立中学校を卒業した[2]。(一年志願兵)として入隊し陸軍中尉に昇進し、のちに帝国在郷軍人会三好郡聯合分会長を務めた[1]。
三好郡会議員を経て[1]、1923年(大正12年)徳島県会議員に選出され24年間在任し、この間、参事会員、副議長を務め[4]、1937年(昭和12年)[注 1]県会議長[4][2]に就任した[1]。この間、大政翼賛会徳島県支部顧問などを務めた[3]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に徳島県地方区から出馬して当選し(補欠、任期3年)[1][2][5]緑風会に所属したが[2]、公職追放となり[6]任期途中の同年7月2日に辞職し[7]、参議院議員に1期在任した[2]。
脚註
注釈
- ^ 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』徳島2頁では昭和14年9月。