岩田 宙造(いわた ちゅうぞう、1875年(明治8年)4月7日[2] - 1966年(昭和41年)2月22日[3])は、明治から昭和期の弁護士、政治家(貴族院議員)。正三位、勲一等瑞宝章。法学博士。
経歴・人物
1875年、山口県熊毛郡立野村(現・光市)に(樋山彦七)の二男として生まれ[2]、岩田金蔵の養子となる[2]。樋山家は江戸時代、代々庄屋をつとめた家柄だった[4]。1898年(明治31年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒[2]。
1901年(明治34年)に東京日日新聞社入社。1902年(明治35年)弁護士開業[2]、東京築地に岩田宙造法律事務所(現在の岩田合同法律事務所)を開設。後に、宮内省、日本銀行、日本郵船、東京海上火災、三菱銀行、日本勧業銀行の各顧問弁護士に就任。1931年(昭和6年)12月12日に(貴族院勅選議員)に任じられた[5]。そして、内閣顧問や(行政査察使)を同時に兼任した。
1945年(昭和20年)東久邇宮内閣で司法大臣就任。幣原内閣時は留任。1946年(昭和21年)2月には、大審院長に細野長良、検事総長に木村篤太郎、(司法次官)に谷村唯一郎を起用した[6]。同年5月に公職追放される[7]。 1953年(昭和28年)追放解除[8]。同年より日本弁護士連合会会長。1958年(昭和33年)に学士会第3代理事長。1961年(昭和36年)には国民政治協会の前身の国民協会初代会長に就任した。
栄典
家族・親族
脚注
参考文献
外部リンク
- 岩田合同法律事務所 山根室 岩田宙造弁護士の紹介
- 岩田合同法律事務所 田中室 事務所紹介
- 岩田宙造の墓