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原ひさ子

原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日[4][3] - 2005年(平成17年)12月4日[1][4])は、日本の女優。本名は石島 久(いしじま ひさ)。旧芸名に原緋紗子[1]、原緋沙子。

はら ひさこ
原 ひさ子
本名 石島 久[1][2]
別名義 原緋紗子
原緋沙子
生年月日 (1909-08-06) 1909年8月6日
没年月日 (2005-12-04) 2005年12月4日(96歳没)
出生地 日本静岡県静岡市[2]
死没地 日本東京都[1]
身長 155 cm(1963年時点)[3]
職業 女優
ジャンル 映画
テレビ
活動期間 1933年[1] - 2005年
配偶者 石島房太郎[4]
主な作品
映画
人情紙風船
悪魔の手毬唄
黒い雨
ワンダフルライフ
バラエティー番組
ライオンのいただきます
 
受賞
1989年芸団協 芸能功労者賞[4]
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略歴

1909年(明治42年)、静岡県静岡市に四人兄妹の末っ子として生まれた[2]。父は銀行員だったが、6歳の時に亡くなっている[2]

不二高等女学校(現:静岡雙葉高等学校)を卒業[1]すると同時に上京し、伯父夫婦の養子となった[2]。伯父は会社のエンジニアだったが、東京大学の近くで下宿と喫茶店も経営していた[2]。この当時原は家業を手伝ったり、長唄や生け花を習うなど花嫁修業をしていた[2]

1933年(昭和8年)、新聞の広告で見た前進座の座員募集に応募した[2]。当時は女優になろうとする気はなく、裏方にでもなれればいいと思っていた[2]。しかし、女優募集の試験であったため、周りには綺麗な人しかいなく、逃げだしたい気持ちになったという[2]。試験官には久保栄村山知義らがいた[2]。数日後、合格通知が届いた[2]。合格の理由は「何もできないところが素直でよかった」とのこと[2]。芝居が好きだった伯父や姉は女優になることを許してくれたが、静岡で銀行員をしていた兄は猛反対し、以降3年間絶縁された[2]

初舞台は新橋演舞場の『牛を喰う』の町娘役で[1][2]、最初に貰った給料は15円だった[2]。その後原緋紗子の芸名を名乗り、歌舞伎や股旅物、現代劇などの舞台に立った。特に、現代劇『石川啄木』では啄木の妻役で出演し、好評を博し当り役とした[2]。そのほか前進座ユニットの映画にも出演。映画初出演は1935年(昭和10年)公開の『街の入墨者』で[4]女方として出演した河原崎国太郎の声の吹き替えをした[2]1937年(昭和12年)には山中貞雄監督の遺作である名作『人情紙風船』に出演した[2]

1938年(昭和13年)に同じく前進座所属の俳優・石島房太郎と結婚した[2]

1944年(昭和19年)に夫婦揃って東宝の専属となる[2]。終戦後は役者の仕事がなかったことから親戚の所有する空き家を借りて喫茶店を経営していたが、東宝劇団山田五十鈴一座の旅公演に誘われたことで活動を再開[2]

多くの映画に出演したが、東宝争議で契約破棄を告げられたため、同じく契約破棄された人たちと東宝演技者集団(のちに東宝映画俳優協会)を結成し、独立プロの映画を中心に出演した[4]。1950年(昭和25年)にフリーランスとなる[3]。1955年(昭和30年)以降は日活映画を中心に活躍。また、1952年(昭和27年)頃に芸名を原ひさ子に改名した。

1960年(昭和35年)に東京俳優生活協同組合の創立に参加し、晩年まで所属していた[1]

「お婆ちゃん役の名脇役」として数多くの映画・テレビドラマに「お婆ちゃん役」で出演。150cmと小柄な体つき・か細く愛らしい声・ほのぼのとした温和な雰囲気で親しまれた。1989年(平成元年)には、芸団協 芸能功労者賞を受賞した[4]。また、1999年(平成11年)にはアメリカニューヨーク・タイムズに「日本の最高齢女優」として紹介された。

70歳を過ぎてから小堺一機が司会を務めた『ライオンのいただきます』に出演して以降、同番組の準レギュラーとして出演するほか、多くのバラエティ番組でも活躍。CMにも出演した。

70歳で俳句を始め、2000年(平成12年)、90歳で初の著書『ばばさまの俳句は日記つれづれに』を出版した。

誕生日が広島市への原子爆弾投下の日と同じである[2]。戦後、原は原爆で亡くなった人々への追悼と、原爆病でいまだに苦しむ被爆者の気持ちを考え、一生誕生日を祝わないと誓い、その日には必ずすいとんを食べることにした[2]

2005年(平成17年)12月4日午後9時32分、家族と夕食を終えた後に意識を失い、東京都内の病院へ搬送中の救急車の中で心不全のため死去[1]。96歳没。遺作は映画『サヨナラCOLOR[1]

出演歴

映画

  • 街の入墨者(1935年、日活) - 友吉の女房
  • 人情紙風船(1937年、P.C.L.) - おてつ 役
  • 阿部一族(1938年、東宝) - 一太夫の妻
  • 逢魔の辻 江戸の巻(1938年、東宝) - 三沢家女中
  • 男(1943年、東宝)
  • (愉しき哉人生)(1944年、東宝) - 妻・たみ 役
  • (最後の帰郷)(1945年、大映) - 水戸中尉の母
  • わが青春に悔なし(1946年、東宝) - 糸川の母 役
  • 或る夜の殿様(1946年、東宝) - 福本妻住
  • 女優(1947年、東宝)
  • 青い山脈(1949年、東宝) - 白木先生 役
  • 女の顔(1949年、太泉映画) - 山田の妻
  • 名探偵ヒロシ君(1949年、東宝教育) - ヒロシの母 役
  • 消えた仔牛(1949年、東宝教育)
  • 空気の無くなる日(1949年、日本映画社
  • 殺人者の顔(1950年、東宝) - 近所の主婦
  • 暴力の街(1950年)
  • 山びこ学校(1952年、八木プロ)
  • 高原の悲歌(1952年、東映) - 旅館の女将
  • 原爆の子(1952年、近代映画協会
  • 母のない子と子のない母と(1952年、新教映) - 史郎のおばあちゃん 役
  • ひめゆりの塔(1953年、東映) - 父兄
  • 縮図(1953年、近代映画協会)
  • 女ひとり大地を行く(1953年、キヌタプロ)
  • 雲ながるる果てに(1953年、重宗プロ)
  • 足摺岬(1954年、近代映画協会) - トヨ 役
  • どぶ(1954年、近代映画協会)
  • 太陽のない街(1954年、新星映画)
  • ここに泉あり(1955年、中央映画) - 老母
  • (1955年、近代映画協会)
  • 十九の花嫁(1955年、東映) - 瀬尾家の婆や
  • 女優(1956年、近代映画協会)
  • 逆光線(1956年、日活) - 婆や・しの 役
  • 隣の嫁(1956年、日活) - 母・ぬい 役
  • 沖縄の民(1956年、日活) - 祖母
  • マラソン少年(1956年、東映教育)
  • 妻と夫がけんかした話(1957年、桜映画社) - 婦人会幹部
  • 迷信一家(1957年、東映教育)
  • 永遠に答えず(1957年、日活)
  • 8時間の恐怖(1957年、日活) - 柳川しず 役
  • 十七才の抵抗(1957年、日活) - 哲次の母 役
  • その女を逃がすな(1958年、日活) - 汽車の中の婆さん
  • 第五福竜丸(1959年、近代映画協会) - 山崎の母 役
  • 才女気質(1959年、日活) - スミ 役
  • つり銭物語(1959年、東映教育) - 文房具屋のお婆さん
  • 素晴らしき娘たち(1959年、東映) - 高橋の母 役
  • 鳩杖(1959年、東映教育)
  • ぼくらも負けない(1959年、東映教育)
  • なまはげ(1960年、東映教育)
  • 南の風と波(1961年、東宝) - お虎さん
  • 現代家族(1962年、桜映画社) - バス停の待ち客
  • 柳ヶ瀬ブルース(1967年、東映) - 福本たけ 役
  • 超能力だよ全員集合!!(1974年、松竹) - まつ 役
  • はつ恋(1975年、東宝) - 由木原きく 役
  • 悪魔の手毬唄(1977年、東宝) - 由良五百子 役※ノンクレジット
  • 父よ母よ!(1980年、松竹)
  • 黒い雨(1989年、東映) - 閑間キン 役
  • バトルヒーター(1989年、アミューズ) - 中川ノブ 役
  • ファンシイダンス(1989年、大映) - お婆さん
  • 青春デンデケデケデケ(1992年、東映)
  • 河童(1994年、カッパドキア) - 老婆
  • 静かな生活(1995年、伊丹プロ) - お祖母ちゃん
  • ワンダフルライフ(1999年、テレビマンユニオン) - 西川キヨ 役
  • 生きたい(1999年、近代映画協会) - 可愛いおばあさん
  • 借王 THE MOVIE 2000(2000年、日活) - ソノコ・ギャバン 役
  • 三文役者(2000年、近代映画協会) - タイちゃんの実母 役
  • 老親 ろうしん(2000年、パオ)
  • サヨナラCOLOR(2004年、ザジフィルムズ) - 木下花江 役

テレビドラマ

バラエティー番組

CM

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j ZAKZAK (2005年12月6日). “”. 2017年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x “Vol.10 原ひさ子さん(女優)”. 実業之日本社. pp. 1 - 3. 2022年9月6日閲覧。
  3. ^ a b c 『タレント名鑑NO1改訂版』(芸能春秋社)、1963年、70頁。 
  4. ^ a b c d e f g “”. 日本俳優連合. 2007年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月6日閲覧。

関連項目

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