経歴
田川高校から三井田川鉱業所を経て、南海ホークスの二軍的なチームだった社会人野球の南海土建へ入部。1952年に南海ホークスに昇格する[1]。
同年は19試合に登板して3勝を挙げると、巨人との日本シリーズで2試合に登板する。翌1953年は大神武俊(19勝)・柚木進(16勝)に続くチーム3番目となる14勝(防御率2.92)を挙げ、南海のリーグ優勝に貢献。しかし、肩を痛めて同年9月中旬以降登板機会がなく、同年の日本シリーズでも出番がなかった。1954年以降は一軍での登板が無いまま、1955年限りで現役引退した[1]。
選手としての特徴
下手投げからシュート・(ドロップ)を武器とした。特にシュートは相当威力があり、1952年の日本シリーズで投げた際、巨人の千葉茂が怖がるほどだったという[2]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1952 | 南海 | 19 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | -- | -- | .600 | 243 | 55.0 | 55 | 4 | 21 | -- | 3 | 20 | 1 | 0 | 25 | 16 | 2.62 | 1.38 |
1953 | 32 | 23 | 6 | 1 | 0 | 14 | 5 | -- | -- | .737 | 729 | 178.1 | 160 | 8 | 42 | -- | 7 | 54 | 2 | 0 | 70 | 58 | 2.92 | 1.13 | |
通算:2年 | 51 | 25 | 7 | 1 | 0 | 17 | 7 | -- | -- | .708 | 972 | 233.1 | 215 | 12 | 63 | -- | 10 | 74 | 3 | 0 | 95 | 74 | 2.85 | 1.19 |
背番号
- 11 (1952年 - 1955年)
脚注
参考文献
- 鶴岡一人『鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史』恒文社、1977年
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 井上慎一 - NPB.jp 日本野球機構