『三枝の爆笑美女対談』(さんしのばくしょうびじょたいだん)は、フジテレビ系列局で放送されていた関西テレビ製作のトーク番組である。関西テレビとフジテレビでは1980年3月20日から1987年3月29日まで放送。
概要
司会の桂三枝(後の6代目桂文枝)が毎回女性ゲストの仕事や趣味、恋愛の噂や私生活などについてインタビューしていた番組[1]。三枝はオープニングで「窓辺のマーガレット、桂三枝です」と挨拶していた。番組のラストではゲストと「ドンケツゲーム」(後期では「ぐらぐらゲーム」)を行い、これに三枝が勝てばゲストは三枝にキスをしなくてはならなかった。場合によってはキスをしてもらわないといけなかったり、勝った方が負けた相手にする場合もあった。(後者は、ゲストが淡谷のり子の時に該当した。)[2]
番組はその後、視聴率の低調に喘いだのに触れた三枝が司会降板を要請したこと[3]、そして番組が放送されていた日曜22:30枠が1987年4月から大日本除虫菊 (KINCHO) の一社提供枠になることから、KINCHOの競合企業である中外製薬の殺虫剤「バルサン」(現在はレックに販売承継)のCMに出演していた三枝を継続出演するわけにいかないと番組スタッフが判断したことにより[3]、同年3月29日放送分をもって7年間の歴史に幕を閉じた。なお、最終回(ゲスト:大原麗子)のエンディングでは収録後のマスコミ撮影と、当時の関西テレビ社長から三枝に感謝状が贈られる記念パーティーの模様が流れた。
放送時間
いずれも日本標準時。
- 木曜 22:00 - 22:30 (1980年3月20日 - 1983年9月)
- 日曜 22:30 - 23:00 (1983年10月 - 1987年3月29日)
スタッフ
- 構成:尼子成夫
- 音楽:広瀬健次郎、浦田博信
- 技術:小川智敬、小林康郎、津浦宏
- カメラ:矢野高由
- 照明:清水久雄
- 音声:山尾市彦、京極博顕、近藤孝雄
- VTR:西岡和広、筒井哲也、中野葉子
- 効果:永江淳志
- 美術:岡本猛(kac)
- デザイン:萩原英伸
- フラワーデザイン:斉藤博美
- タイトル:永見孝義
- ディレクター:籏啓祝、長嶋一郎、小川誠、大平雄司
- プロデューサー:奥野巌
- 制作協力:フジテレビ(東京収録の回のみ)
- 制作著作:関西テレビ放送
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当初は前番組『恋のトリプルチャンス』から引き続き笹岡薬品(命の母ホワイト他)の一社提供で放送されていたが、後に森下仁丹(グリーン仁丹他)が参入し、笹岡薬品と森下仁丹の二社提供へと移行した[5]。この2社がスポンサーを降りた後、しばらくはP&Gとフルベール化粧品を筆頭とした複数社による提供で放送されていた。末期は先述の大日本除虫菊を筆頭とした複数社となり、後番組から1997年3月終了の『カジノザウルス』まで10年間、日曜22時台[6]のKINCHO一社提供バラエティ枠が続くことになる。
備考
脚注
- ^ 「制作ノートから 関西ならではのトーク番組 三枝の爆笑美女対談 / 奥野巌」『月刊民放』1982年5月号(131)、コーケン出版、35 - 37頁、(NDLJP):3470957/18。
- ^ 講談社三枝の爆笑美女対談115ページより。
- ^ a b 『週刊テレビ番組 首都圏版』1987年1月第3週号、東京ポスト。
- ^ 『朝日新聞』大阪版1980年7月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ この時期までの提供クレジットは当時フジテレビ・関西テレビの番組で使われていたブルーバックにテロップカードを重ねる形式ではなく、二社ともにフリップを撮影する形式だった
- ^ 途中『』が放送されていた1992年10月改編時に直前のフジテレビ制作の30分枠と交換した。
フジテレビ系列 木曜22:00 - 22:30枠 【途中まで笹岡薬品一社提供枠】 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
恋のトリプルチャンス (1979年4月5日 - 1980年3月13日) | 三枝の爆笑美女対談 (1980年3月20日 - 1983年9月)
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関西テレビ製作・フジテレビ系列 日曜22:30 - 23:00枠 | ||
パンチDEデート (1974年10月6日 - 1983年9月25日)
| 三枝の爆笑美女対談 (1983年10月 - 1987年3月29日) | 金鳥おもしろ倶楽部 スターご勝手対談 (1987年4月5日 - 1988年9月25日) |