三木 重頼(みつき しげより)は室町時代の武将。(飛騨三木氏)の当主。
概要
三木氏は代々京極氏の被官であり、飛騨国益田郡竹原郷の代官であった。
しかし、応仁の乱の最中の文明3年(1471年)8月7日、姉小路基綱との戦いで父の三木久頼が戦死し、重頼が跡を継いだ。敗北した京極氏は姉小路勝言(小島家)と結び、文明9年(1477年)迄には姉小路基綱を破り、飛騨を二分した[1]。重頼も京極家中で勢力を増して所領を拡大し[2]、益田郡の南端の竹原郷から北上し上村に移り住んだ[3]。
永正元年(1503年)7月10日、木曽郡王滝に飛騨勢が侵攻し、木曾義元が戦死した[4]が、時期的に重頼の軍勢と考えられる。(大永8年(1528年)の出来事とする史料もある[5])。
脚注
参考文献
- 尋尊 著「国立国会図書館デジタルコレクション 文正9年」、岡村利平 編『大乗院寺社雑事記 第6巻』三教書院、1931年(原著1477年) 。
- 長谷川忠崇 著「国立国会図書館デジタルコレクション 第6巻 古城部 三木氏略図」、辻善之助 編『飛騨叢書. 1 飛州志』住伊書店、1911年(原著1745年) 。
- 谷口研語『飛騨三木一族』(新人物往来社、2007年発行)
- 岡村守彦『飛騨中世史の研究』(戎光祥出版、2013年発行)