» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

Apple Newton

Apple Newton(アップル・ニュートン)は、Appleの販売していた世界初のPersonal Digital Assistant(PDA, 個人用携帯情報端末)である[1]1992年1月に開催されたCESにて、当時のCEOジョン・スカリーがPDAの定義と共に発表[2]1993年から1998年にかけて販売された。ARMプロセッサを用い、手書き認識機能を備えた。Appleはこの装置に「MessagePad」という正式名称をつけていたが、この装置のオペレーティングシステムの名称であった「Newton」が、この装置と内蔵ソフトウェアを示す名称として世間では用いられていた。

Apple Newton MessagePad(初代)

概要

Newtonは主に次の二つの理由で商業的には失敗したと言える。一つは高価であった(2000型および2100型は1000ドル近くした)ことと、もう一つは大き過ぎた(標準的なコート、シャツ、パンツなどのポケットに収まる大きさではなかった)ことである。[独自研究?]また評論家[誰?]はその手書き認識についても酷評した。これらの初期の問題により、Newtonは世間一般からは名声を得ることができず、またPDA市場自体もPalm社が「Palm Pilot」を製品化するまでの間ニッチ市場のままであった。Palm Pilotは、小さく、薄く、(直感的ではないが)信頼性の高いGraffitiという手書き入力システムを備えており、Newtonの商業的失敗を克服してPDA市場を育てることができた。

Newtonは手書き入力を謳い文句にしていたが、初期の頃は非常に不正確な認識しかできなかった。手書き認識システムは、ロシアのパラグラフ・インターナショナル社がライセンス供与したCalligrapherと呼ばれるエンジンを用いていた。Newtonは利用者が書く文字を学習し、データベースを用いて利用者が次に何を書こうとしているかを推測した(この学習を前提とする設計ゆえに店頭デモではいっそう認識率が低く、不振の一因となったといわれている)。また画面上のどこに書き込んでもよかった。これは後のPalm Pilotでは、利用者が新しい表記方法を覚えて、決まった場所に一文字ずつ書き込まなければいけないのと比べると、洗練されたシステムであった。Newtonは、三角や丸や四角といった単純な図形を認識してきれいに書き直してくれたり、引っ掻く動作で単語を消したり、文章を丸で囲むことで選択したり、簡単な記号を書くことで文章の入力位置を指定できるなど、直感的な手書き入力環境を提供していた。

その後、Newtonはこの手書き認識システムを互換性のために装備し続けたものの、新たにコードネームRosettaと呼ばれる活字体文字認識システムを搭載した。RosettaはAppleが開発し、Newton OSのバージョン2.0に搭載され、2.1で改良された。このバージョン2.1でRosettaは飛躍的に進歩した。1998年にAppleがNewtonの開発をやめるまでの間に、手書き認識技術は大きく進化した。なお、Newton OS 2.0へのアップグレードはROM交換が必要なため、有料であった[3]

"1+2="などの手書き文字を認識して縦横に計算をするシステムも開発中であったが、主要な技術者が去ってしまったために実現には至らなかった。

ハードウェアソフトウェアももう過去のものになったにもかかわらず、Newtonは中古市場において他社のPDA製品よりも高値がついている。2004年現在、古いハードウェアであるNewton 2000型や2100型は、周辺機器無しで100ドル以上で販売されている。

技術的詳細

Newtonには、NewtonScript[4]と呼ばれる先進的なオブジェクト指向プログラミングシステムが用いられていた。これはAppleのウォルター・スミス (Walter Smith) [1] が開発した。プログラム開発者たちの不満の種であったのは、このToolboxプログラミング環境が1000ドル以上もした点であった(後にこのプログラミング環境は無料で利用できるようになった)。さらに、この環境を使うには新しいプログラミング手法の習得が必要であった。にもかかわらず、多くのサードパーティーアプリケーションシェアウェアアプリケーションがNewtonで使えるようになっていった。Newtonのデータは(Soup)(英語版)と呼ばれるデータストレージに保存され、格納された一つのデータをあらゆるアプリケーションで利用することが可能であった。そのためユーザーは自分で入力する項目を極力少なくすることができた。ほとんどのデータは「保存」という作業なしで保存されまさに紙のメモに書くような感じで入力できた。

MessagePadはMacintoshの標準シリアルポート規格である、丸いミニDIN8ピンコネクタを使っていた。これはより普及しているDB-9規格のものとは違っていた。MessagePad 2000と2100は独自の小さいフラットコネクタを備えており、変換ケーブルでつながるようになっていた。さらに、全機種に赤外線通信装置もついていた。Palmとは異なり、すべてのMessagePadには標準PCMCIA拡張スロットが装備されていた。(2000型と2100型は二つ装備)ハードウエア的にはPCMCIAのコネクターを持つがソフトウエア的な互換性は低かった、これはPCMCIAの規格が固まる前にリリースをしてしまったためである。これにより、専用のモデムイーサネット接続環境さえも用意された。IEEE 802.11b無線LANカードや、ATA方式のフラッシュメモリーカード(一般的なコンパクトフラッシュフォーマットを含む)などのためのデバイスドライバがNewton利用者たちによって書かれた。1xxシリーズではオプションのキーボードがつなげられるようになっており、2x00型でもドングルを使って接続することができた。Newtonは電話番号ダイヤルトーンをMessagePadのスピーカーで鳴らすことができるようになっており、受話器をスピーカーのそばに持ってゆくことにより電話をかけることができた。また、この電話をかけたときにもログが記録されており、カレンダーでの記録を元に一日の行動を把握することができた。このほかオペレーティングシステム上でファクシミリ電子メールがサポートされていた(この場合、純正のモデム(8pinコネクター経由)もしくはMegahertz等のPCMCIAモデムカードが必要であった)。

MessagePad 2000と2100は、進化した手書き認識システム、160MHzのARMプロセッサ、Newton OS 2.1、バックライト付きスクリーンを搭載していた。

MessagePadはスクリーンを横長(ランドスケープ状態)にも縦長(ポートレート状態)にも使うことができた。設定を変更すれば簡単に表示内容を90度回転させることができ、手書き入力も問題なく動作した。

Appleやサードパーティーメーカーは、クレジットカード運転免許証名刺現金などとともにMessagePadを安全に持ち運べるケース(袋)を発売していた。これらのケースはMessagePad本体よりもさらに大きく、ポケットに収まるようなものではなかったため、主に衝撃や傷から守るためのものとして用いられることが多かった。

小さな着脱式のシリアルキーボードがあった。

Newton誕生前夜

Newtonは、(同時期にAppleのスピンアウトしたプロジェクトGeneral Magicと違って)そもそもは携帯情報端末(PDA)を目指していたのではなかった。Newtonの時代にはそのような分類すらなく、PDAとは、ジョン・スカリーが開発の後期に作り出した言葉である。Newtonが目指したものは、パーソナルコンピューティングの完全なる再発明であった。開発の大半の期間は、大きなスクリーンを備え、大量のRAMを搭載し、高機能なオブジェクト指向グラフィックスカーネルを用いて行われていた。当初の開発目標の一つとして「建築家向けシステム」があった。これは、住宅の机上設計を顧客と行う際に、二次元の設計図を簡単にスケッチし、清書し、修正してゆくことができるというものである。

Newtonの開発の主要な時期(およそ中盤の1/3くらいの頃)、主要な開発言語は"Dylan"であった。この言語は小型で効率的なオブジェクト指向LISPの一種で、今日ではわずかにマイナーなコミュニティで用いられている。その時代性から考えるにDylanには十分な効率性があったが、Newtonが巨大なものになってしまうことは受け入れられなかった(また、非LISP開発者たちにも受け入れ難いものであった)。Newtonがより小さいサイズで再設計された時、Dylanは「バウハウス・プロジェクト」の「実験項目」に格下げになり、その内捨て去られてしまった。

興味深いことに、Dylanの特徴であるガベージコレクション機能とOSとの密接な結合は、マイクロソフトによるコード管理の革命を10年も先取りしたであろうものである。

パーソナルコンピューティングの再発明を行い、現代的なアプリケーションプログラミングをやりなおすという当初の目標のせいで、プロジェクトは空転し、這い進むような進行状況になり、Macintoshの売上を食いつぶすおそれが広がっていった。NewtonはあらためてMacintoshの機能を補完する周辺機器として再設計されることとなった。そしてNewtonのマーケット担当者がジョン・スカリーを追いつめて、PDA、つまり携帯専用という視点を吹き込んだ。これによりNewtonの歴史は劇的に変貌を遂げる。

eMate 300

eMate 300は、1997年に発表された学校向けの機器である。価格は手頃で(当初は教育用途にのみ800ドルで販売された)、教室で用いるのに適した頑丈なものであった。eMate 300は、480×320ドットの16諧調グレースケール画面、スタイラス(筆記ペン)、フルサイズキーボード、赤外線ポート、およびMacintoshの標準シリアル/LocalTalk用ポートを装備していた。電源は内蔵の充電式電池を用い、最大28時間稼働可能であった。外観は緑の貝殻型で透き通っており、取っ手がついていた。これは腕の高さから固い床に落下させても壊れないように設計されていた。この頑強な設計は、初代のiBookシリーズの設計に影響を与えているとみられる。eMate 300は他のNewton製品とともに姿を消していった。

後への影響

Newtonの後継機の試作(プロトタイプ)はたくさんあった[5]。もっとも特徴的だったのはNewton Tablet(または"slate")で、書き込みができる大きな平面スクリーンであった。他には、脇に取っ手と操作ボタンを取り付けた「Kids Newton」、動画カメラとスクリーンをフリップ式のカバーに取り付けて双方向通信が可能な「ビデオパッド」、Palm Pilotと非常によく似た「ミニ2000」、受話器とキーボードを内蔵した「Newton Phone」(シーメンスAG製)などがある。

Newtonのプロジェクトが解散する前に、その技術は独立会社であるNewton Inc.に移行されたが、数箇月後、スティーブ・ジョブズがAppleCEOギル・アメリオを追い出して会社の実権を取り戻した際、Newton Inc.は再びAppleに吸収された。それ以来、AppleはNewtonの技術を使うかPalm社と提携して新しいPDA製品を市場投入するのではないかと推測する人が後を絶たなかったが、Appleはそのような計画は全くないと否定し続けた。2001年にiPodが現れるまで、AppleはMacintoshブランドのコンピュータ製品に注力し、携帯機器は発表も発売もしなかった。

推測の域を出ないが、AppleはNewton OS 2.1の手書き認識システムの一部である活字体文字認識機構をMac OS X v10.2 Jaguarに組み込んだ。Mac OS X v10.2では、スクリーン上で挿入点がある場所に、タブレットに手書きした文字を自由に入力できるようになっている。この機能は「Inkwell(インクウェル)」と呼ばれ、タブレットが接続されていればシステム環境設定に現れて使える。Appleは今のところこの技術を再び携帯機器で使ってはいない(iPhoneの中国語手書き認識機能はInkwellとは異なる)。

iPod, iPhoneとの関係

 
Newton MessagePad 2100) と初代iPhone。両端末の画面解像度(480×320ピクセル) は同じである

AppleがPDAから撤退し、業績を回復した後もMac以外の携帯コンピュータを発売することは長らくなかった。2004年6月に、AppleCEOのスティーブ・ジョブズは、「Appleは新しい携帯コンピュータ市場参入への圧力をはねのけた」と述べ世界的に見てPDA市場は衰退傾向にあり、需要が十分ではないとしてAppleは開発しない道を選択したことを明らかにした。なお、2001年に登場した携帯音楽プレーヤーのiPodのOSを作成したPixo社は、AppleでNewtonの開発に携わっていた2人の技術者が作った会社である。

2007年、Appleは新しいARMベースのスマートフォン「iPhone」と、メディアプレイヤー「iPod touch」を発表した。これらはタッチパネルを搭載しインターネット端末の機能があったが、ソフトウェアの追加はできず、PDAとは別の製品であるとされていた。しかし、後にユーザがソフトウェアを追加できるようになり、汎用のコンピュータとして機能するようになった。iPhoneとiPod touchのOSであるiOSMac OS Xベースであり、Newtonとは技術的にほぼ関係がないものの、AppleにとってはNewton以来の事実上のPDAへの再参入である。AppleはPDAという言葉こそ使っていないものの、デザインやコンセプト面ではiOSプラットフォームはNewtonの末裔と言えなくもない。しかし、iPhoneはTabletPC対抗として始まったとされるiPad開発プロジェクトから派生したものである[6][7]

初代iPhoneデザインには、Newton MessagePadのデザイナーのうちUI/UXをグレッグ・クリスティ[8]、筐体をジョナサン・アイブ[9]らが関わっているが、エンジニアリングはGeneral Magicで端末開発を担当していたトニー・ファデルらである[10][11]

Newtonの各モデル

Spec
ARM 610 processor 20 MHz
4 MB ROM, 640k SRAM
赤外線通信機能、ADB port、PCカードスロット(PCMCIA規格が制定される前だったので、ハードウエア的には合致しているが、ソフトウエア的にはコンパチビリティが無い(一部のカードは使えた)
  • MessagePad 100 1994年3月 - 1995年4月 NewtonOS1.2-1.3
ハードウエア的にはOMPとほとんど一緒。ソフトウエアアップデートがなされ、文字認識は遅延認識ができるようになっている(書いたあとからでもテキスト変換が可能になった)
  • MessagePad 110 1994年3月 - 1995年4月 NewtonOS1.3(若干細長くなり、フリップ式カバーと伸縮式のスタイラスがついた)ジョナサン・アイブによるデザイン[9]
CPUは変わらずARM 610 processor 20 MHzのまま。メモリーはSRAMが1MBとなった。
このモデルには限定版で半透明のモデルが存在した。
  • MessagePad 120 1994年10月 - 1995年1月 NewtonOS1.3(日本で公式販売開始)[13][14]
CPUは110と同じ、SRAMは1MBと2MBバージョンが存在した。
  • MessagePad 130 1996年4月 - 1997年4月 NewtonOS2.0(バックライト搭載。OS2.0搭載)、画面は320 x 240ピクセル、サイズは幅101.6 mm x 高さ203.2 mm x 厚さ29.0 mmで重量480gであった[15]
  • eMate 300  - 1998年2月27日[16](バックライト付き大画面を搭載、OS2.1を搭載。ARM7を搭載し若干高速化、キーボードを組み込み)
  • MessagePad 2000 1996年4月 - 1997年11月 NewtonOS2.1(大幅改良。StrongARMを搭載し大幅に高速化、大形化しPCカードスロット2基搭載)、ディスプレイサイズ129.8mm x 83.2mm、幅118.7mm、高さ210.3mm、厚さ27.5mm、重量640gであった[17]
ディスプレイ下部のアイコンが液晶表示となり、カスタマイズが可能になった。
  • MessagePad 2100 1997年11月 - 1998年2月27日[16] NewtonOS2.1(内蔵RAMを4MBに)[18]
Newton OSは、シャープモトローラなどのサードパーティーにもライセンス供給され[19]、上記以外のPDA機器にも使われた。ディスプレイ下部のアイコンが液晶表示となり、カスタマイズが可能になった。
通信について。標準の通信方法はADBポートに繋ぐ専用モデムが販売されており、それを利用しての通信が可能であった。
PCMCIAカードを利用しての通信は、Megahertz社のモデムカードにNewtonで使える機種があり、それを使っての通信が可能であった。
日本ではPHSが普及し始めていて、なぜかASTEL社がPHS通信カードにNEWTON用のドライバーを提供して、ワイヤレスモバイル通信が可能になった。
日本での普及
イケショップがOMPとキャリングバッグとセットでお茶の子セットを29800円で販売。
エヌフォーがNewton向け日本語FEP、UniFEPを発売

登場作品

  1. ^ “アップルの光と影 iPhone以前に存在した伝説的名機「ニュートン(Newton)」”. MarkeZine. 2021年6月20日閲覧。
  2. ^ McCracken, Harry. “Newton, Reconsidered” (英語). Time. ISSN 0040-781X. http://techland.time.com/2012/06/01/newton-reconsidered/ 2019年4月15日閲覧。 
  3. ^ “アップル、携帯端末「MessagePad 120」のOSアップグレードを開始”. pc.watch.impress.co.jp. 2021年6月23日閲覧。
  4. ^ “NewtonScript”. newtonscript.org. 2019年4月15日閲覧。
  5. ^ Honan, Mat (2013年8月5日). “Remembering the Apple Newton’s Prophetic Failure and Lasting Impact” (英語). Wired. ISSN 1059-1028. https://www.wired.com/2013/08/remembering-the-apple-newtons-prophetic-failure-and-lasting-ideals/ 2019年4月12日閲覧。 
  6. ^ Weinberger, Matt (2017年6月26日). “ジョブズが嫌ったあるMS社員 —— そしてiPhoneは生まれた”. BUSINESS INSIDER JAPAN. 2023年2月9日閲覧。
  7. ^ “初代iPhone発売から10年、アップルはどう変わったのか (1)”. マイナビニュース (2017年7月2日). 2023年2月9日閲覧。
  8. ^ Fried, Ina (2014年4月9日). “iPhone Interface Designer Greg Christie to Leave Apple” (英語). Vox. 2021年6月22日閲覧。
  9. ^ a b Kahney, Leander. “The Story Behind The First Thing Design God Jony Ive Made For Apple” (英語). Business Insider. 2021年6月22日閲覧。
  10. ^ “TechCrunch – Startup and Technology News” (英語). TechCrunch. 2021年6月22日閲覧。
  11. ^ “'Sweating bullets' - The inside story of the first iPhone” (英語). BBC News. (2017年1月9日). https://www.bbc.com/news/technology-38552241 2021年6月22日閲覧。 
  12. ^ “Design is fine. History is mine.” (英語). Design is fine. History is mine.. 2021年6月22日閲覧。
  13. ^ “アップル、携帯端末「MessagePad 120」のOSアップグレードを開始”. pc.watch.impress.co.jp. 2019年4月12日閲覧。
  14. ^ “”. web.archive.org (1997年7月7日). 2019年4月12日閲覧。
  15. ^ “”. web.archive.org (1997年7月7日). 2019年4月12日閲覧。
  16. ^ a b “”. web.archive.org (1998年12月2日). 2019年4月12日閲覧。
  17. ^ “”. web.archive.org (1997年7月7日). 2019年4月12日閲覧。
  18. ^ “”. web.archive.org (1998年2月4日). 2019年4月12日閲覧。
  19. ^ “Stylus counsel: The rise and fall of the Apple Newton MessagePad • The Register”. www.theregister.co.uk. 2019年4月13日閲覧。

関連項目

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。