LEC(LEC Refrigeration Racing)は、1977年にF1に参戦していたコンストラクター。 コンストラクターとしての参戦は1977年からだが、1973年にはマーチのシャシーを購入して参戦している。
創設者 | デビッド・パーレイ |
---|---|
スタッフ | (マイク・アール) |
参戦年度 | 1977 |
出走回数 | 3 |
コンストラクターズ タイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | (1977年ベルギーGP) |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | (1977年イギリスGP) |
歴史
1973年、イギリス人ドライバーデビッド・パーレイが自分を走らせるために自らオーナーとなりチームを設立。 チーム名は、彼の実家である冷凍機器メーカーLEC (LEC Refrigeration) の名前に由来する。
この年はマーチ・731を購入して5戦に出場(うち1戦予選落ち)。最高位はイタリアGPでの9位に留まる。翌年、パーレイがトークンへ移籍。その後もパーレイがF2などに活動を場を変えたことから、LECの名はしばらくの間F1から無くなっていた。
1977年にオリジナルマシン「LEC・CRP1」を引っ提げて4年ぶりにF1に復帰。コンストラクターとしての参戦を開始する。チームは第5戦よりエントリーしたものの予備予選を突破できず、1戦欠場後の第7戦ベルギーGPで決勝レース初出走を果たす。そこから3戦連続で決勝に進出するも、最高位はベルギーGPでの13位に留まっていた。
そんな中、第10戦イギリスGPの予備予選にてパーレイが生死を彷徨う大クラッシュを喫してしまう(詳細は(デビッド・パーレイ#大クラッシュ)を参照)。このクラッシュが原因でパーレイはF1からの引退を余儀なくされ、チームもそれに伴い消滅した。
(マイク・アール)ら主要メンバーはオニクス (Onyx) を結成し、F2や国際F3000で活躍。1989年から1990年までF1に参戦した。
F1世界選手権の成績
((key))
年 | シャシー | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973年 | マーチ・731 | コスワース・DFV 3.0 V8 | G | ARG | BRA | RSA | ESP | BEL | (MON) | SWE | FRA | GBR | (NED) | GER | (AUT) | ITA | (CAN) | USA | |||||
デビッド・パーレイ | Ret | DNS | Ret | 15 | 9 | ||||||||||||||||||
1977年 | LEC・CRP1 | コスワース・DFV 3.0 V8 | G | (ARG) | (BRA) | RSA | (USW) | (ESP) | (MON) | (BEL) | SWE | (FRA) | (GBR) | (GER) | (AUT) | (NED) | ITA | (USA) | (CAN) | JPN | — | 0 | |
デビッド・パーレイ | DNQ | 13 | 14 | Ret | DNPQ | ||||||||||||||||||
出典[1] |