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HEATH

HEATH(ヒース、本名:森江 博 - もりえ ひろし、1968年〈昭和43年〉1月22日 - )は、日本ミュージシャン兵庫県尼崎市出身。血液型B型X JAPANベーシスト。ソロ活動時の名前は「heath」、X JAPANでは「HEATH」である。愛称は「ひーちゃん」。

HEATH
基本情報
出生名 森江 博(もりえ ひろし)
生誕 (1968-01-22) 1968年1月22日(55歳)
出身地 日本, 兵庫県尼崎市
ジャンル ロック
ハードロック
ヘヴィメタル
職業 ベーシスト
シンガーソングライター
担当楽器 ベース
ギター
ボーカル
活動期間 1985-
事務所 HEATH Project
共同作業者 X JAPAN
公式サイト https://www.heathproject.com

来歴

 
HEATH, 2011年
  • 1968年1月22日5時22分、兵庫県尼崎市に生まれる。両親も音楽好きで家にはギター・ベース・ドラム・キーボードなどの楽器があり、家ではロックがいつも流れていた。4つ上の兄がギターをやっていたため、自然とベースを始めるようになる。兄がビートルズを弾くのに合わせてベースを弾くこともあった。生まれて初めて買ったレコードは『嗚呼!!花の応援団』。
  • 中学2年からバンド活動を始め、中学3年の頃から1人でライブハウスに出入りするようになる。44MAGNUMを観に行くようになったのがきっかけ。17~18才の頃に本格的にやり始めたバンドが、AIONNOVと一緒に活動した「PARANOIA」(パラノイア)。インディーズでレコード・CDもリリースした。その後、Xに加入するまでの短期間だがKIYOSHI(後にhide with Spread Beaverに参加)のバンド「media youth」で活動していた。
  • 1990年5月、X『ROSE&BLOOD TOUR FINAL』日本武道館2days公演の打ち上げにてXメンバーに出会う。その後、HIDEに誘われ上京。
  • 1992年5月中旬、Xに加入決定、すぐに「ART OF LIFE」のレコーディングのために渡米。
  • 1995年2月22日、ソロ活動開始、BOX『heath(CD+VHS 50000セット限定BOX) 』発売。
  • 1997年2月19日、ソロシングル「Traitor」発売。
  • 1997年9月22日、X JAPAN解散記者会見。
  • 1997年12月27日、ソロPV集『heath all of films 1995.2.22-1997.12.31』発売。
  • 1997年12月31日、X JAPAN解散ライブ。
  • 1998年4月22日、ソロマキシシングル「Crack yourself」発売。
  • 1998年6月6日、大阪O-CATホールにてheath talking gig開催。
  • 1998年6月10日、ソロアルバム『GANG AGE CUBIST』発売。
  • 2003年2月末、Dope HEADz活動休止。
  • 2004年8月29日、RATS活動休止。同年、DER ZIBETISSAYとLynxを結成。
  • 2005年、通販による7年ぶりのソロシングル3作をリリース。
  • 2007年2月24日、ソロ活動開始15周年、X JAPAN解散後としては初のワンマンライブ開催。
  • 2008年3月28日〜30日、東京ドームにてX JAPAN 3 DAYSライブ『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜』開催。
(28日『〜破壊の夜〜』 29日『〜無謀な夜〜』(追加公演) 30日『〜創造の夜〜』)
  • 2008年5月4日 X JAPANとしてhide memorial summit(hide十周忌追悼ライブ(多数のバンドやミュージシャンが出演のライブ))に出演(hide memorial summitは5月3日と5月4日に開催)。
  • 2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演の発表後、世界各国から公演依頼が殺到し、2008年6月現在発表している以外の日本を含め、全世界を回る大規模なツアーを予定していたが、YOSHIKIの持病の頸椎椎間板ヘルニアと腱鞘炎が悪化した為、全公演の延期を決定。X JAPANの活動再開は未定になったが、その後YOSHIKIの病状が回復したためパリ公演を同年11月22日に行うことが決定した。
  • 2009年3月 HEATHが所属事務所と契約上のトラブルになり、当面は活動を休止せざるを得ない状況で、韓国ソウル公演を延期及び、5月2、3日の東京ドーム公演のチケット発売も延期された。
  • 2009年4月 HEATHが所属事務所との契約上のトラブルが解消されず、状況はますます悪くなり、X JAPANを脱退したと報道された。しかし、所属事務所側は「脱退の申し入れがあったのは事実だが、事務所もYOSHIKIも認めておらず、東京ドーム公演はHEATHを入れて予定通り行う」とコメントした[1]
  • 2009年5月1日 トラブルを前向きに解消し、5月2日と3日に開催される東京ドーム公演に出演することが決定した。HEATHは「身勝手な行動をとってしまった事を、今は深く反省し、心よりお詫び申し上げます」と謝罪コメントを寄せ、再びX JAPANとして活動することとなった。この脱退騒動を心配していたファン達は、東京ドーム公演のオープニングにおいて「On Bass HEATH」のアナウンスが流れた時には大きな声援を送った。

人物

  • TAIJIの後任としてX JAPANに加入したが、イアン・ヒルニッキー・シックスジーン・シモンズの影響を公言する通り、そのプレイはオーソドックスなピック奏法を主体とした堅実かつ謙虚なものであり、TAIJIのようなエキセントリックなプレイはあまりみられない。ただ、楽曲によってはスラップ奏法や(スリーフィンガー・ピッキング)なども用いる。「SCARS」ではピック、スラップ、スリーフィンガーを駆使している。
  • X JAPANのライブにおけるソロコーナーにおいて、「オペラ座の怪人」をベースで演奏するというパフォーマンスを好んで行った。自らの曲である「daydream」も多く演奏した。
  • ソロコーナーでは、演奏していたベースを破壊するというパフォーマンスも多く披露している。破壊したベースの種類などについては、使用機材の項に記述してある。
  • ライブの時にはエクステをよく付けるが、普段はブローした後は何もしないという。ちなみにシャンプーは、ヴィダルサスーンを愛用していた。
  • X JAPAN再結成後のライブでは途中から上半身裸になることが多い。ちなみに、体型は昔から変わらず、体脂肪率も3~7%をキープしている。
  • SUGIZOとは、自身がX JAPAN加入以前からの知り合い。SUGIZOからは「ハードロック、ヘヴィメタルにどっぷりつかってきたロック小僧だと思うけれど、資質はクラシックプレーヤーに近いんじゃないかな。本当にマジメで、常に練習してるし、譜面どおりに完璧に演奏するタイプ」と評されている。
  • XJAPANのメンバーの中で唯一SNSを一切しておらず、XJAPANの活動以外の情報が殆ど表に出る事が無く、私生活も謎に包まれている。
  • 酒にまつわる逸話や伝説が多いXJAPANのメンバーらしく、彼もまた酒豪である。SUGIZO曰く「呑む量で言えばPATAさんだが、呑むアルコールの度数ならばHEATH」と言うほど。
  • 好物はステーキとフルーツとされているが、実際のところ食に対する拘りはそれほど強くは無く、レコーディング等の作業に夢中になるとその傾向が顕著で、特に90年代の若かりし頃は「別に食えれば何でもいい。毎食ファーストフードのハンバーガーで、それが数日続いたとしても別に気にしない」という程であった。

X JAPAN加入のきっかけ

HIDEとの出会い〜上京

22歳の時、1990年5月に行われた『ROSE&BLOOD TOUR FINAL』日本武道館2daysにHIDEの友達でもあった友人に一緒に行こうと連れて行かれ、その打ち上げの時に初めてXのメンバーに紹介された。それまで日本のバンドのコンサートはあまり見た事が無かったが、そのXのステージには劇的なものを感じたという。その後もちょくちょくHIDEとは電話で話していたが、HIDEに「とりあえず東京出て来い」と言われ、考えた末ベース2本とボストンバッグ一つで新幹線自由席に乗り、混んでいたため3時間立ったままで東京に着く。家には軽く「東京行ってくる」とだけ言って出てきた。東京に着いてHIDEに電話すると、本当に来るとは思っていなかったらしく大変驚いていたと言う。

セッションから加入まで

 
HEATH, 2014年

当時Xは新しいベーシストの一般公募と平行して、X側からも一緒に音を出してみないかとジャンル問わず様々な人に声をかけていた。ベーシストの条件は「男性で、一緒に音を出して楽しいかどうか・感覚的に馬が合うかどうか・俺たちとピッチが合うかどうか」だった。公募の中には男性という条件にもかかわらず、女性も多数テープを送ってきていた(後日談だが、中にはベースは一切演奏できないにも関わらず、デモテープに意気込みだけを延々と吹き込んできた熱心なものもあったという。)。沢山のテープの中から実際にオーディションに来てもらった人もいたが、なかなか加入に至るまでの馬が合う人はいなかったという。そんな中で名前が挙がったのがHIDEの知り合いのHEATHだった。

1992年1月のX東京ドーム3days(TAIJI脱退ライブ)の数ヵ月後、HIDEはHEATHに電話をする。HEATHは飲みの誘いと思っていたが、ベーシストオーディション勧誘(正確には「音を一緒に出してみないか」というセッション勧誘)の電話だった。HEATHはXが新しいベーシストを探していることは友人に聞いて知っていたが、当時は自身のバンドであるmedia youthもあり応募しようとは全く思っていなかった。そのため、勧誘の話をされてもHEATHは他のバンドのベーシストを紹介したりしていた。

HEATHはその後、自身のバンドへの迷いがあったこともあり、入る入らないは別としてセッションならやりたいと承諾。結局、実際にはオーディションではなく、Xメンバーのほうからの希望でセッションと言う形でHEATHに来てもらう事になった。

最初のセッションの時の演奏曲は「Standing Sex」「(BLUE BLOOD)」「ENDLESS RAIN」「Joker」「(Sadistic Desire)」の5曲。その前日から当日朝までHIDEとHEATHが一緒に飲んでいたこともあり、HEATHは二日酔いの状態でセッションに参加。仮眠も1、2時間ほどしかとらずHEATHは「間違えても仕方がない」と緊張していなかったがほぼ完璧に弾きこなす。逆にメンバーのほうが緊張して「下手なのがバレてナメられないようにしないといけないと思ってコチコチに緊張していた」と語る。物怖じしない性格や、終わって片づけをして、「じゃあ、結果は後日〜」とすぐに帰ってしまったHEATHに対しHIDEとPATAは「大物だ」と感じたと同時に、「こいつはXにいてもおかしくない」と思ったという。

その日のうちにHEATHのもとに「メンバーはHEATHを気に入ったがHEATHはどうだったか」という連絡が入る。さらにしばらくして、やはりベースはHEATHが良いとメンバー内で一致。すぐにHEATHに電話をするが、HEATHはそのとき自身で再結成させたバンドのこともあって、少し考えさせて欲しいと言った。結局2週間色々考えた末、セッションが楽しかったこともあり、決心して加入承諾の連絡をする。後のインタビューでHEATHは「あの中にいて違和感がなかった」「ピンとくるものが、Xに対してはすごく強くあった」と語っている。加入が決まったのは1992年5月中旬、HEATH24歳の時であった。

かくして1992年8月24日午後6時、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンロックフェラーセンター・レインボールームにてX新ベーシストとして正式に紹介されることとなる。

雑誌でのhideのインタビューによれば、「HEATHは(X JAPAN加入後の)初ライブが東京ドーム、初テレビ出演が紅白歌合戦だった」という。また、X JAPANでの初レコーディングは、X JAPANの楽曲の中でも最長の「ART OF LIFE」であった。脱退前のTAIJIによるベーストラックがレコーディング済みであったが、HEATH加入後、彼の演奏に全て差し替えられた。

使用機材

ベース

 
HEATHのベース, 2011年, ブラジル
フェルナンデス(Burny)WB-X
X JAPAN加入直後に使用していた、BC RICHワーロックタイプのベース。12フレット部の指板にXのインレイが入っている。東京ドームでのライブのソロコーナーでよく破壊されていた。初期TAIJIのワーロックは片側4列ペグのヘッドだったのに対して2対2配列ペグのヘッドデザインを採用。市販シグネイチャーモデルはWB-95H。
フェルナンデス(Burny)EB-X
1993年から97年あたりまでメインとして使用していたBC RICH(イーグル)タイプのベース。オリジナルと同様のスルーネック5ピースボディ構造により黒のボディに2本の白いラインの柄になっている。ボディ、ネック材はコアが使用されている。こちらもソロコーナーで破壊していたが、同じものを何本も用意していた。(チューニングの違う曲に対応するためでもある。)市販シグネイチャーモデル、EB-95Xはボディ材およびPUが異なる仕様になっている。
フェルナンデス(Burny) PROTO-TYPE
「THE LAST LIVE」のリハーサル時に使用されていたというベース。ポール・リード・スミスに似た外観にアーチドトップでPタイプのピックアップを搭載している。

フェルナンデス(Burny)DB-85H PROTO-TYPEの市販モデル。ピックアップにハムバッカーを2機搭載。

フェルナンデス FJB-115H
X JAPAN解散後から使用を開始し、再結成以降のメインとして使用しているジャズベースタイプのベース。FENDER系ベースの為、ボルトオンネックだが上記EB-Xと同じカラーリングである。2009年からフェルナンデスよりHEATHモデルとして市販が開始された。
ERNIE BALL MUSICMAN STINGRAY (白)

サウンド・システム

  • 「THE LAST LIVE」時
MESA BOOGIE BASS 400+ (アンプ)
MESA BOOGIE RD-1000 (キャビネット)
  • 「X JAPAN攻擊再開」時
AMPEG SVT-CL (アンプ)
AMPEG SVT-810E (キャビネット)

ディスコグラフィ

シングル

  リリース タイトル 規格 販売生産番号 備考
1st 1996年10月7日 迷宮のラヴァーズ 8cmCD PODH-1323 読売テレビ系アニメ「名探偵コナン」エンディングテーマ
2nd 1997年2月19日 Traitor 8cmCD PODH-1342 フジテレビ系「猛烈アジア太郎」オープニングテーマ
3rd 1998年4月22日 Crack yourself 12cmCD POCH-1686 読売テレビ系「パパイアQ」オープニングテーマ
4th 2005年 NEW SKIN 12cmCD WF-0002 *通信販売のみ
5th 2005年 come to daddy 12cmCD WF-0003 *通信販売のみ
6th 2005年 THE LIVE 12cmCD WF-0004 *通信販売のみ
7th 2006年8月25日 solid 12cmCD WF-0006 *通信販売のみ

アルバム

  リリース タイトル 規格 販売生産番号 備考
1st 1998年6月10日 GANG AGE CUBIST 12cmCD POCH-1709/10
2nd 2006年10月27日 Desert Rain 12cmCD WF-0007 *通信販売のみ

VHS

  リリース タイトル 規格 販売生産番号 備考
1st 1995年2月22日 heath VHS + 12cmCD POVH-1045 CD+VHS 50000セット限定BOX
2nd 1997年12月27日 heath all of films VHS POVH-1060

バンド歴

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 制作運営管理委がHEATH脱退説を否定2009年4月21日 サンケイスポーツ

関連項目

外部リンク

  • HEATH OFFICIAL WEBSITE
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