2002年の日本ハムファイターズ(2002ねんのにっぽんハムファイターズ)では、2002年シーズンについての日本ハムファイターズの動向をまとめる。
2002年の日本ハムファイターズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ5位 | |
61勝76敗3分 勝率.445[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 東京ドーム |
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球団組織 | |
オーナー | 大社義規 |
経営母体 | 日本ハム |
監督 | 大島康徳 |
(選手会長) | 岩本勉 |
« 2001 2003 » |
この年の日本ハムファイターズは、大島康徳監督の3年目のシーズンである。
概要
大島監督3年目を迎えたチームは、近鉄へ移籍したナイジェル・ウィルソンに代わり、DTクローマーが加入。それ以外にも、木元邦之や實松一成などの若手を起用してシーズンに臨んだ。2002年3月31日のダイエー戦では大島が一塁塁審良川昌美に暴力行為を行ったとして退場処分となり、2試合出場停止(4月3日、4日のオリックス戦)となった。4月3日、4日はヘッド兼内野守備走塁コーチの高代延博が監督代行を務めた。5月には首位の西武と4ゲーム差の4位で健闘し、前半戦終了時には貯金1と2年ぶりのAクラスも見えていたが、8月に7勝18敗するなど失速し、終盤に調子を上げてきたロッテにも抜かれ、結局5位に終わる。また、チーム外ではこの年の狂牛病対策による農林水産省の制度を悪用した牛肉偽装事件の影響が大きく、オーナーの大社義規はオーナー職こそ留任したものの、会長は辞任し、経営の第一線から退く事になった。シーズン途中には札幌ドームへ2004年に本拠地を移転することが発表され、オフに2年連続Bクラスの責任を取って大島監督は解任され[2]、後任として、球団初の外国人監督であるトレイ・ヒルマンが就任した。そしてヒルマン監督の下、札幌ドーム時代への準備が始動することになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | ダイエー | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | 西武 | 2.0 | ダイエー | 3.0 | 近鉄 | 3.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 13.0 | 近鉄 | 16.5 |
3位 | 日本ハム | 4.0 | 近鉄 | ダイエー | 8.0 | ダイエー | 9.5 | ダイエー | 15.5 | ダイエー | ||
4位 | 近鉄 | 5.5 | 日本ハム | 4.0 | 日本ハム | 9.5 | 日本ハム | 11.0 | 日本ハム | 24.5 | ロッテ | 23.0 |
5位 | オリックス | 6.0 | オリックス | 10.5 | ロッテ | 16.5 | ロッテ | 17.0 | ロッテ | 26.5 | 日本ハム | 28.0 |
6位 | ロッテ | 9.5 | ロッテ | 12.5 | オリックス | 17.0 | オリックス | 18.5 | オリックス | 31.5 | オリックス | 39.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 西武ライオンズ | 90 | 49 | 1 | .647 | --- |
2位 | 大阪近鉄バファローズ | 73 | 65 | 2 | .529 | 16.5 |
2位 | 福岡ダイエーホークス | 73 | 65 | 2 | .529 | 16.5 |
4位 | 千葉ロッテマリーンズ | 67 | 72 | 1 | .482 | 23.0 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 61 | 76 | 3 | .445 | 28.0 |
6位 | オリックス・ブルーウェーブ | 50 | 87 | 3 | .365 | 39.0 |
オールスターゲーム2002
詳細は「2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
詳細は「2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
- ^ “年度別成績 2002年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2016年11月12日閲覧。
- ^ 俺たちの東京日本ハムファイターズ、2014年、P64、ベースボール・マガジン社