1997年の日本ハムファイターズ(1997ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1997年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
1997年の日本ハムファイターズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
63勝71敗1分 勝率.470[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 東京ドーム |
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球団組織 | |
オーナー | 大社義規 |
経営母体 | 日本ハム |
監督 | 上田利治 |
« 1996 1998 » |
この年の日本ハムファイターズは、上田利治監督の3年目のシーズンである。
概要
前半戦まで首位を走りながらも、上田監督の古巣であるオリックスの優勝を許したチームは、失速の原因でもあった打線の強化を図るべく巨人から落合博満を、アメリカからジェリー・ブルックスとナイジェル・ウィルソンを獲得した。投手陣でも先発の駒不足を解消すべく、長年ストッパーとして活躍した金石昭人を5年ぶりに先発復帰させる。マスコミからも優勝候補として名が挙がる程の期待をされたが、開幕から6連敗を記録した。 前年2位躍進の立役者だった岩本勉・今関勝・島崎毅などは相手にマークされ成績不振に陥り、ベテランの西崎幸広も開幕戦で故障離脱すると、金石も初先発で1死を取っただけで降板してしまい両者共長期離脱、チーム防御率も4.18へ低下した。そんな中、ダイエーから移籍2年目の下柳剛が先発陣が早々に降板した試合に登板、ゲームを立て直す連日のロングリリーフで規定投球回数に達成しチーム2位の9勝を挙げる。 打撃陣でもブルックスと本塁打王を獲得したウィルソンが主砲として奮闘し、チーム本塁打も128本のリーグ2位とまずまずだったが不振ながらも4番を打つ落合を優遇する上田監督に対する不満も噴出した。チームは3度の5割復帰をかけたチャンスがあったものの、尽くそれに失敗し7月以降は負けが込んだ。近鉄に9月以降抜かれ、最後はダイエーと同率の4位で終えた。シーズン終了後、西崎は石井丈裕・奈良原浩との交換で西武へ放出されこの年右投手ではチームトップの登板数を記録した長冨浩志が高齢を理由にダイエーに金銭トレード、金石が自由契約となり長嶋茂雄監督の巨人へ移籍した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | オリックス | -- | 西武 | -- | オリックス | -- | オリックス | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | ロッテ | オリックス | 4.0 | 西武 | 4.5 | 西武 | 2.0 | オリックス | 3.0 | オリックス | 5.0 | |
3位 | ダイエー | 0.5 | ダイエー | 5.0 | ダイエー | 5.5 | ダイエー | 3.5 | 近鉄 | 10.5 | 近鉄 | 7.5 |
4位 | 近鉄 | 日本ハム | 5.5 | 日本ハム | 8.0 | 日本ハム | 8.5 | 日本ハム | 11.5 | 日本ハム | 14.0 | |
5位 | 西武 | 1.0 | ロッテ | 7.0 | 近鉄 | 13.5 | 近鉄 | 10.5 | ダイエー | 12.0 | ダイエー | |
6位 | 日本ハム | 近鉄 | 8.5 | ロッテ | 13.5 | ロッテ | 11.5 | ロッテ | 14.0 | ロッテ | 19.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 西武ライオンズ | 76 | 56 | 3 | .576 | --- |
2位 | オリックス・ブルーウェーブ | 71 | 61 | 3 | .538 | 5.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 68 | 63 | 4 | .519 | 7.5 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 63 | 71 | 1 | .470 | 14.0 |
4位 | 福岡ダイエーホークス | 63 | 71 | 1 | .470 | 14.0 |
6位 | 千葉ロッテマリーンズ | 57 | 76 | 2 | .429 | 19.5 |
オールスターゲーム1997
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
- 色付きの選手は逆指名による入団
脚注
注釈
- ^ 1996年に一塁手部門で受賞しており、通算2度目。