1996年の日本ハムファイターズ(1996ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1996年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
1996年の日本ハムファイターズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ2位 | |
68勝58敗4分 勝率.540[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 東京ドーム |
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球団組織 | |
オーナー | 大社義規 |
経営母体 | 日本ハム |
監督 | 上田利治 |
« 1995 1997 » |
この年の日本ハムファイターズは、上田利治監督の2年目のシーズンである。
概要
阪急・オリックスで5度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた名将・上田利治監督の1年目を4位で終えたチームは、開幕スタメンで1番にロブ・デューシーを、4番にはバーナード・ブリトーの両外国人を据えて開幕に臨んだ。外国人パワーと上田監督になってから我慢強く起用した岩本勉・今関勝・島崎毅・田口昌徳・上田佳範・井出竜也と若手選手が活躍し、四年目の金子誠は新人王を獲得。近年成績が不振だった片岡篤史や西崎幸広の復活もあり、チームは首位をひた走り1981年以来15年ぶりの優勝が期待された。しかし、7月終了時点まで4ゲーム差も付けられたオリックスが破竹の勢いで快進撃すると、チームの勢いは止まり直接対決で負け越して首位陥落。それでも、自力優勝の可能性を残したが9月初めに上田監督が「家庭の事情」で休養すると、急遽住友平ヘッドコーチが監督代行に。だがその直後に負けが込み、オリックスに優勝マジックが点灯。そして9月23日の試合でオリックスにサヨナラ負けを喫し、目前での胴上げを許すことになったが、1993年以来3年ぶりに2位でシーズンを終えた。そしてシーズン終了後、巨人を自由契約になった落合博満を獲得するが、これがチーム内紛の始まりとなっていく。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | オリックス | -- | 日本ハム | -- | 日本ハム | -- | 日本ハム | -- | オリックス | -- | オリックス | -- |
2位 | 日本ハム | 0.5 | オリックス | 0.5 | オリックス | 2.5 | オリックス | 4.0 | 日本ハム | 0.5 | 日本ハム | 7.0 |
3位 | 近鉄 | 1.0 | 近鉄 | 2.0 | 近鉄 | 7.0 | ロッテ | 7.5 | 近鉄 | 8.5 | 西武 | 13.0 |
4位 | ロッテ | 1.5 | ロッテ | 5.0 | ロッテ | 7.5 | 近鉄 | 9.0 | ロッテ | 10.0 | 近鉄 | 14.5 |
5位 | 西武 | 5.0 | 西武 | 5.5 | 西武 | 9.5 | ダイエー | 11.5 | ダイエー | 12.5 | ロッテ | 15.5 |
6位 | ダイエー | 7.0 | ダイエー | 11.0 | ダイエー | 12.5 | 西武 | 13.0 | 西武 | 13.5 | ダイエー | 22.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | オリックス・ブルーウェーブ | 74 | 50 | 6 | .597 | --- |
2位 | 日本ハムファイターズ | 68 | 58 | 4 | .540 | 7.0 |
3位 | 西武ライオンズ | 62 | 64 | 4 | .492 | 13.0 |
4位 | 近鉄バファローズ | 62 | 67 | 1 | .481 | 14.5 |
5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 60 | 67 | 3 | .472 | 15.5 |
6位 | 福岡ダイエーホークス | 54 | 74 | 2 | .422 | 22.0 |
オールスターゲーム1996
詳細は「1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
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選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
詳細は「1996年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 色付きの選手は逆指名による入団