1991年の読売ジャイアンツ(1991ねんのよみうりジャイアンツ)では、1991年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
1991年の読売ジャイアンツ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ4位 | |
66勝64敗 勝率.508[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 東京ドーム |
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球団組織 | |
オーナー | 正力亨 |
経営母体 | 読売新聞社 |
監督 | 藤田元司 |
(選手会長) | 岡崎郁 |
« 1990 1992 » |
この年の読売ジャイアンツは、2回目の藤田元司監督体制の3年目(通算6年目)のシーズンである。
概要
前年2位広島に22ゲーム差をつけてペナントレースを独走し優勝しながら、日本シリーズで西武を相手に1勝もできず敗退した影響が残ったままシーズンを迎えることになったが3年目の藤田監督はこのシーズンのテーマを「選手の自主性」と定めて西武野球との差を埋めようとしたものの、リーグ内では従来のチーム戦略を踏襲するものとなった。しかしその結果、前年の日本シリーズで露呈した弱点がこの年現れることとなった。野手陣では新外国人のフィル・ブラッドリーが一定の成績を収め、原辰徳・駒田徳広なども奮闘するが打線の繋がりに欠いた。また守備面でのエラーで決勝点を奪われる試合が多く、失策数も前年48個だったのが76個だった。さらに、チーム盗塁阻止率も正捕手の村田真一の弱肩や中尾孝義の衰えもあってこの年.156で2年連続12球団ワーストを記録し、なかでも8月13日の大洋戦では8盗塁を許す惨状であった。投手陣も前年ほどの安定感はなく、斎藤雅樹、槙原寛己、木田優夫の不調もありチーム防御率が3.72へ低下し、最後はヤクルトとの3位争いに敗れて1979年以来12年ぶりのBクラスとなる4位に転落した。カード別成績では最下位の阪神に19勝7敗と大きく勝ち越した以外は貯金を増やせず、5位の大洋には13勝13敗と苦戦した。シーズン終了後、藤田監督の腹心だった近藤昭仁ヘッドコーチ・松原誠打撃コーチが解任された。ブラッドリーもチームになじめず、シーズン終了後に退団した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 大洋 | -- | 広島 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- |
2位 | 広島 | 1.0 | ヤクルト | 0.0 | ヤクルト | 1.5 | ヤクルト | 1.0 | 広島 | 4.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 3.0 |
3位 | ヤクルト | 1.0 | 中日 | 2.0 | 巨人 | 5.0 | 広島 | 3.5 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 8.5 | ヤクルト | 7.0 |
4位 | 巨人 | 1.0 | 巨人 | 2.0 | 広島 | 6.0 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 6.0 | 巨人 | 9.5 | 巨人 | 8.0 |
5位 | 中日 | 1.5 | 大洋 | 2.5 | 大洋 | 12.0 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 16.5 | 大洋 | 13.0 | 大洋 | 10.0 |
6位 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 8.5 | 阪神 | 20.5 | 阪神 | 22.0 | 阪神 | 24.0 | 阪神 | 23.0 | 阪神 | 26.0 |
オールスターゲーム1991
詳細は「1991年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
4月
- 6・7日の中日との開幕2連戦を連敗スタート。連敗スタートは11年ぶり。
- 14日の広島戦で桑田真澄がプロ初セーブを記録。
- 27日の大洋戦で宮本和知は、初回の先頭打者のヒット1本のみに抑え、完封勝ち(四球1)。
- 30日に実質的オーナーの務臺光雄名誉会長が逝去。
5月
- 22日のヤクルト戦で、プロ3年目の松谷竜二郎が完投で初勝利。
6月
- 21日の大洋戦、5回まで0対8と大きくリードされたが、打線が奮起し9回までに同点に追いつくと、延長11回に村田真一のタイムリーでサヨナラ勝ち。
- 25日のヤクルト戦は5対16と大敗。16失点は球団史上ワースト5番目の記録(当時)。
7月
- 19日の中日戦、7回まで8対0と楽勝ムードも、8回に先発の槙原寛己が崩れて7失点するなど8対9と逆転負けを喫する。
- 22日、デニー・ゴンザレスの入団を発表。
- 28日のヤクルト戦に負けて、自力優勝が消滅した。
8月
- 13日の大洋戦で8盗塁を許す。この試合の捕手は村田真一であった。
10月
- 5日の阪神戦で原辰徳がセ・リーグ新記録の12犠飛。
- 12年ぶりのBクラスが確定。
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
詳細は「1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照