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1990年の広島東洋カープ

1990年の広島東洋カープ(1990ねんのひろしまとうようカープ)では、1990年における広島東洋カープの動向をまとめる。

1990年の広島東洋カープ
成績
セントラルリーグ2位
66勝64敗2分 勝率.508[1]
本拠地
都市 広島県広島市
広島市民球場
球団組織
オーナー 松田耕平
経営母体 松田家(マツダ創業者一族)
監督 山本浩二
(選手会長) 山崎隆造
キャッチフレーズ
Striking Anew
« 1989
1991 »

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この年の広島東洋カープは、山本浩二監督の2年目のシーズンである。

概要

前年オフに、長年にわたり主力選手として活躍してきた高橋慶彦を放出し、ロッテから2年前のパの首位打者・高沢秀昭が加入したが、高沢は前年の故障の影響から思うような成績を残せず、新外国人選手のマイク・ヤングも期待外れの成績に終わった。その一方で高橋放出により新たに正遊撃手となった2年目の野村謙二郎が台頭し、盗塁王を獲得した。一方投手陣は、前年に最優秀救援投手となった津田恒実が故障でわずか4試合の登板にとどまる大誤算だったが、新人の佐々岡真司が当時の日本プロ野球記録となる17試合連続セーブポイントを記録するなど二桁勝利・二桁セーブを挙げ、先発と抑えの両方で活躍した。チームは4月を最下位で終えるなどスタートダッシュに失敗、6月下旬まで借金生活が続いた。7月以降は大洋中日との2位争いが続き、8月にようやく2位に浮上したが、その時点で首位巨人とは10ゲーム以上の大差がついていた。大洋や中日の2位争いに勝ったものの、結局優勝した巨人とは22ゲーム差、2位のチームとしては最少となる貯金2でシーズンを終えた。

チーム成績

レギュラーシーズン

1990年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 2.5 大洋 2.5 大洋 5.5 中日 12.0 広島 16.5 広島 22.0
3位 阪神 4.5 広島 8.0 広島 8.0 大洋 12.5 大洋 18.0 大洋 24.0
4位 ヤクルト 5.5 阪神 9.5 中日 9.0 広島 13.5 中日 18.5 中日 26.0
5位 中日 7.0 ヤクルト 9.5 ヤクルト 10.5 ヤクルト 16.0 ヤクルト 24.0 ヤクルト 30.0
6位 広島 7.5 中日 阪神 12.0 阪神 18.0 阪神 31.0 阪神 36.0


1990年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 88 42 0 .677 ---
2位 広島東洋カープ 66 64 2 .508 22.0
3位 横浜大洋ホエールズ 64 66 3 .492 24.0
4位 中日ドラゴンズ 62 68 1 .477 26.0
5位 ヤクルトスワローズ 58 72 0 .446 30.0
6位 阪神タイガース 52 78 0 .400 36.0

オールスターゲーム1990

できごと

選手・スタッフ

[2]

表彰選手

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
野村謙二郎 盗塁王 33個 初受賞
ベストナイン
選出なし
ゴールデングラブ賞
選手名 ポジション 回数
正田耕三 二塁手 4年連続4度目

ドラフト

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 瀬戸輝信 捕手 法政大学 入団
2位 小野幸一 投手 鹿児島商業高 入団
3位 高橋英樹 投手 喜界高 入団
4位 山﨑健 投手 関東第一高 入団
5位 小林敦司 投手 拓殖大学紅陵高 入団
6位 松本隆 捕手 (五大化学) 入団

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ “年度別成績 1990年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年9月9日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN (978-4-583-10668-7)。 
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