1979年の広島東洋カープ(1979ねんのひろしまとうようカープ)では、1979年の広島東洋カープにおける動向をまとめる。
1979年の広島東洋カープ | |
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成績 | |
日本一 | |
日本S | 4勝3敗(対近鉄) |
セントラル・リーグ優勝 | |
67勝50敗13分 勝率.573 | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市 |
球場 | 広島市民球場 |
| |
球団組織 | |
オーナー | 松田耕平 |
経営母体 | 松田家(東洋工業創業者一族) |
監督 | 古葉竹識 |
キャッチフレーズ | |
79 LET'S SPARK! | |
« 1978 1980 » |
このシーズンの広島東洋カープは、古葉竹識監督の5年目のシーズンである。
概要
出典[1]
投手陣は北別府学、池谷公二郎、山根和夫、抑えは移籍2年目の江夏豊、打線は1番に俊足の高橋慶彦、中軸に山本浩二、衣笠祥雄、水谷実雄、エイドリアン・ギャレット、ジム・ライトルと長打力ある選手が揃っており、前評判は高かったが4月7日の開幕戦(阪神戦)からいきなり4連敗、その後もなかなか波に乗れず、5月28日の中日戦で極度の不振で打率2割の衣笠を古葉は監督になって初めてスタメンから外し(5月に入るとオーナーの「こんなに打てないのに、どうして使うんだ。」と古葉の耳にも入ってきた)、前半戦を首位の中日に3.5ゲーム差の4位、後半戦は古葉曰く思い描く試合ができるようになり、8月17日の大洋戦に勝って初めて首位に立つと、そのままトップで、10月6日に4年ぶり2度目のリーグ優勝、11月4日に球団初の日本一に輝いた。この年の日本シリーズ(対近鉄)第7戦の9回裏の攻防は山際淳司のノンフィクション小説「江夏の21球」として知られている。3割打者は6月6日から7月31日まで33試合連続安打のプロ野球記録を作った高橋の.304だけでチーム打率はリーグ5位の.257だったが、盗塁数は断トツトップの143で得点もリーグトップの601を記録した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- |
2位 | 大洋 | 0.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 0.5 | 広島 | 2.5 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 10.0 | 大洋 | 6.0 |
3位 | 阪神 | 1.0 | 大洋 | 大洋 | 1.0 | 大洋 | 3.5 | 中日 | 4.5 | 大洋 | 10.5 | 中日 | 7.5 | |
4位 | 中日 | 1.5 | 広島 | 4.5 | 広島 | 2.0 | 阪神 | 3.5 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 12.0 | 阪神 | 8.0 |
5位 | 広島 | 3.5 | ヤクルト | 4.5 | 阪神 | 4.0 | 巨人 | 3.5 | 大洋 | 5.5 | 中日 | 12.5 | 巨人 | 10.5 |
6位 | ヤクルト | 5.5 | 阪神 | 6.0 | ヤクルト | 7.5 | ヤクルト | 11.0 | ヤクルト | 13.5 | ヤクルト | 18.0 | ヤクルト | 19.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 広島東洋カープ | 67 | 50 | 13 | .573 | --- |
2位 | 横浜大洋ホエールズ | 59 | 54 | 17 | .522 | 6.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 57 | 14 | .509 | 7.5 |
4位 | 阪神タイガース | 61 | 60 | 9 | .504 | 8.0 |
5位 | 読売ジャイアンツ | 58 | 62 | 10 | .483 | 10.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 48 | 69 | 13 | .410 | 19.0 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月27日(土) | (第1戦) | 広島東洋カープ | 2 - 5 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月28日(日) | (第2戦) | 広島東洋カープ | 0 - 4 | 近鉄バファローズ | |
10月29日(月) | 移動日 | ||||
10月30日(火) | (第3戦) | 近鉄バファローズ | 2 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月31日(水) | (第4戦) | 近鉄バファローズ | 3 - 5 | 広島東洋カープ | |
11月1日(木) | (第5戦) | 近鉄バファローズ | 0 - 1 | 広島東洋カープ | |
11月2日(金) | 移動日 | ||||
11月3日(土) | (第6戦) | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
11月4日(日) | (第7戦) | 広島東洋カープ | 4 - 3 | 近鉄バファローズ | |
優勝:広島東洋カープ(初優勝) |
オールスターゲーム1979
詳細は「1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。
できごと
7月
- 7月31日 - 高橋慶彦が対巨人戦(広島)の1回に新浦寿夫から安打を打ち、日本プロ野球新記録の33試合連続安打。しかし直後の2回の守備で走者と交錯し負傷退場。翌日から欠場し、復帰した8月8日の対阪神戦は無安打で記録はストップ[2]
8月
10月
11月
選手・スタッフ
| 登録名変更
|
表彰選手
リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
江夏豊 | 最優秀選手 | 初受賞 | |
最優秀救援投手 | 31SP | 2年ぶり2度目 | |
山本浩二 | 打点王 | 113打点 | 初受賞 |
最多出塁数 | 220個 | 初受賞 | |
高橋慶彦 | 盗塁王 | 55個 | 初受賞 |
その他 | |||
選手名 | タイトル | ||
三村敏之 | カムバック賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
高橋慶彦 | 遊撃手 | 2年連続2度目 |
山本浩二 | 外野手 | 3年連続4度目 |
ダイヤモンドクラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山本浩二 | 外野手 | 8年連続8度目 |
ライトル | 2年連続2度目 |
ドラフト
詳細は「1979年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照