1976年の阪急ブレーブスでは、1976年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
1976年の阪急ブレーブス | |
---|---|
成績 | |
日本一 | |
日本S | 4勝3敗(対巨人) |
パシフィック・リーグ優勝 | |
79勝45敗6分 勝率.637[1] | |
前期優勝 | 42勝21敗2分 勝率.667[1] |
後期優勝 | 37勝24敗4分 勝率.607[1] |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 阪急西宮球場 |
| |
球団組織 | |
オーナー | 森薫 |
経営母体 | 阪急電鉄 |
監督 | 上田利治 |
« 1975 1977 » |
この年の阪急ブレーブスは上田利治監督の3年目のシーズンであり、2年連続7度目のリーグ優勝と日本シリーズ連覇を果たした。
概要
山口高志の加入や山田久志・足立光宏などの活躍でもぎ取った1975年の球団初の日本一の勢いそのまま前期の開幕ダッシュに成功すると、一度も首位を譲らず前期を貯金21で優勝。後期は8月まで南海が首位に立つなど、やや苦戦を強いられたが最後は南海を逆転。結局後期も貯金13を稼ぎ、2年連続リーグ優勝。日本シリーズは4年ぶりに巨人との対戦となり第3戦まで3連勝するが地元・西宮で日本一を決められず、第6戦は0-7とリードするがじわじわと巨人に追い上げられ最後は山田が打たれて悪夢のサヨナラ負け。このまま日本一は巨人かと思われたが、第7戦はベテラン・足立が粘り強い投球で巨人に付け入るスキを与えず完投し、2年連続の日本一を敵地・後楽園球場で達成して上田監督が胴上げされた。チームは6度目の正直で西本幸雄監督時代からの宿願だった「打倒巨人」をようやく実現させた。投手陣はエース山田が26勝あげるなど好調で、防御率は3.30と悪くなかった。打撃陣は123失策でリーグワーストだったものの、本塁打リーグ1位、盗塁数リーグ2位と長打と機動力で他球団を圧倒した。
チーム成績
レギュラーシーズン
|
|
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 阪急ブレーブス | 79 | 45 | 6 | .637 | --- |
2位 | 南海ホークス | 71 | 56 | 3 | .559 | 9.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 56 | 11 | .529 | 13.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 57 | 66 | 7 | .463 | 21.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 52 | 67 | 11 | .437 | 24.5 |
6位 | 太平洋クラブライオンズ | 44 | 76 | 10 | .367 | 33.0 |
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月23日(土) | (第1戦) | 阪急ブレーブス | 6 - 4 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月24日(日) | (第2戦) | 雨天中止 | |||
10月25日(月) | 阪急ブレーブス | 5 - 4 | 読売ジャイアンツ | ||
10月26日(火) | 移動日 | ||||
10月27日(水) | (第3戦) | 読売ジャイアンツ | 3 - 10 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月28日(木) | (第4戦) | 雨天中止 | |||
10月29日(金) | 読売ジャイアンツ | 4 - 2 | 阪急ブレーブス | ||
10月30日(土) | (第5戦) | 読売ジャイアンツ | 5 - 3 | 阪急ブレーブス | |
10月31日(日) | 移動日 | ||||
11月1日(月) | (第6戦) | 阪急ブレーブス | 7 - 8 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
11月2日(火) | (第7戦) | 阪急ブレーブス | 4 - 2 | 読売ジャイアンツ | |
優勝:阪急ブレーブス(2年連続2回目) |
オールスターゲーム1976
詳細は「1976年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
コーチ | 上田利治 | |
投手 | 山田久志 | 5 |
山口高志 | 2 | |
足立光宏 | 6 | |
戸田善紀 | 初 | |
捕手 | 河村健一郎 | 初 |
一塁手 | 加藤秀司 | 5 |
内野手 | マルカーノ | 2 |
外野手 | 福本豊 | 5 |
大熊忠義 | 初 | |
ウイリアムス | 初 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
詳細は「1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照