1974年の中日ドラゴンズ(1974ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1974年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。
1974年の中日ドラゴンズ | |
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成績 | |
日本シリーズ敗退 | |
日本S | 2勝4敗(対ロッテ)[1] |
セントラル・リーグ優勝 | |
70勝49敗11分 勝率.588[2] | |
本拠地 | |
都市 | 愛知県名古屋市 |
球場 | 中日スタヂアム |
球団組織 | |
オーナー | 小山武夫 |
経営母体 | 中日新聞社 |
監督 | 与那嶺要 |
« 1973 1975 » |
この年の中日ドラゴンズは、与那嶺要監督の3年目のシーズンであり、20年ぶり2度目のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要
1954年の初優勝以来、長く遠ざかるチームはユニフォームを5年ぶりに一新。青主体と帽子のCDマークは従来通りだったが、胸のロゴが赤色に変更され(それまでは青)、肩から腰にかけてラインが太くなるデザインに変更された(1986年まで続く)。ユニフォーム変更の効果があったのかチームは滑り出しから好調で、7月までは阪神と首位を争った。8月以降は死のロードで失速した阪神に代わって巨人が追い上げるが首位は譲らず、10月12日の対大洋ダブルヘッダーに連勝し、初優勝以来20年ぶりにセ・リーグ優勝を達成。このまま日本一奪取が期待されたが、日本シリーズでは巨人のV10を阻止したことで燃え尽きたのか星野仙一が救援失敗を重ね、打撃好調だった高木守道が左足骨折で離脱したのも響き、名古屋出身の金田正一監督率いるロッテに2勝4敗で敗退した。投手陣は松本幸行が広島の金城基泰と20勝で最多勝を分け合い、星野が15勝10セーブで初代セーブ王となったほか、2年目の鈴木孝政がセットアッパーとして台頭したが、打線の援護で勝つ試合も多くチーム防御率3.75はリーグ5位。打撃陣では新外国人ジーン・マーチンが35本塁打、87打点でチーム二冠の活躍を見せ、正捕手木俣達彦が王貞治に次いで打率2位に入るなどの活躍でチーム打率1位、本塁打リーグ2位に入った。またこの年に発売された中日の応援歌『燃えよドラゴンズ!』が大ヒットした事も話題となった。
- 中日マジック点灯から長嶋引退まで
順位 | 9/28終 | 9/29終 | 9/30終 | 10/1終 | 10/2終 | 10/3終 | 10/4終 | 10/5終 | 10/6終 | 10/7終 | 10/8終 | 10/9終 | 10/10終 | 10/11終 | 10/12終 | 10/14終 | ||||||||||||||||
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1位 | 中 | M12 | 中 | M12 | 中 | M12 | 中 | M12 | 中 | M12 | 中 | M10 | 中 | M9 | 中 | M8 | 中 | M6 | 中 | M6 | 中 | M4 | 中 | M3 | 中 | M3 | 中 | M2 | 中 | 優勝 | 中 | 優勝 |
2位 | 巨 | 5.0 | 巨 | 4.0 | 巨 | 3.0 | 巨 | 2.5 | 巨 | 2.5 | 巨 | 3.0 | 巨 | 3.0 | 巨 | 2.5 | 巨 | 3.0 | 巨 | 2.5 | 巨 | 3.0 | 巨 | 3.0 | 巨 | 1.5 | 巨 | 1.5 | 巨 | 2.0 | 巨 | 0.0 |
試合 結果 | 中6-6巨 | 巨7-2中 | 巨4-1中 | 洋9-5中 | 巨2-2神 | 中2-2洋 中4-0洋 | 中6-1洋 巨14-3神 | 中6-1広 巨15-6神 巨6-3神 | 中4-2広 巨6-2洋 洋5-3巨 | 巨3-0洋 | 中7-4神 巨4-0ヤ ヤ3-2巨 | ヤ3-2中 洋6-5巨 | ヤ6-4中 巨5-2洋 巨6-1洋 | ヤ3-3中 | 中9-2洋 中6-1洋 巨7-5ヤ | 巨7-4中 巨10-0中 |
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 中日 | -- | 巨人 | -- | 阪神 | -- | 阪神 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- |
2位 | 阪神 | 3.0 | 阪神 | 0.5 | 中日 | 3.5 | 巨人 | 2.0 | 中日 | 2.0 | 巨人 | 3.0 | 巨人 | 0.0 |
3位 | 巨人 | 4.0 | 中日 | 2.0 | 巨人 | 4.5 | 中日 | 2.0 | 阪神 | 4.0 | 阪神 | 10.5 | ヤクルト | 12.0 |
4位 | 大洋 | 5.0 | 広島 | 5.0 | 大洋 | 6.5 | 大洋 | 6.5 | ヤクルト | 10.5 | ヤクルト | 13.0 | 阪神 | 14.0 |
5位 | 広島 | 6.0 | 大洋 | 6.5 | 広島 | 7.5 | 広島 | 9.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 14.0 | 大洋 | 17.5 |
6位 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 7.0 | ヤクルト | 11.0 | ヤクルト | 9.5 | 広島 | 15.0 | 広島 | 16.5 | 広島 | 19.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 中日ドラゴンズ | 70 | 49 | 11 | .588 | --- |
2位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 50 | 9 | .587 | 0.0 |
3位 | ヤクルトスワローズ | 60 | 63 | 7 | .488 | 12.0 |
4位 | 阪神タイガース | 57 | 64 | 9 | .471 | 14.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 55 | 69 | 6 | .444 | 17.5 |
6位 | 広島東洋カープ | 54 | 72 | 4 | .429 | 19.5 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月16日(水) | (第1戦) | ロッテオリオンズ | 4 - 5 | 中日ドラゴンズ | 中日球場 |
10月17日(木) | (第2戦) | ロッテオリオンズ | 8 - 5 | 中日ドラゴンズ | |
10月18日(金) | 移動日 | ||||
10月19日(土) | (第3戦) | 中日ドラゴンズ | 5 - 4 | ロッテオリオンズ | 後楽園球場 |
10月20日(日) | (第4戦) | 中日ドラゴンズ | 3 - 6 | ロッテオリオンズ | |
10月21日(月) | (第5戦) | 中日ドラゴンズ | 0 - 2 | ロッテオリオンズ | |
10月22日(火) | 移動日 | ||||
10月23日(水) | (第6戦) | ロッテオリオンズ | 3 - 2 | 中日ドラゴンズ | 中日球場 |
優勝:ロッテオリオンズ(24年ぶり2回目) |
オールスターゲーム1974
詳細は「1974年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- この年の中日は監督推薦による選出のみであった。
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
高木守道 | 二塁手 | 7年ぶり6度目 |
マーチン | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
高木守道 | 二塁手 | 初受賞 |
ドラフト
詳細は「1974年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照