1973年の中日ドラゴンズでは、1973年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。
1973年の中日ドラゴンズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ3位 | |
64勝61敗5分 勝率.512[1] | |
本拠地 | |
都市 | 愛知県名古屋市 |
球場 | 中日スタヂアム |
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球団組織 | |
オーナー | 小山武夫 |
経営母体 | 中日新聞社 |
監督 | 与那嶺要 |
« 1972 1974 » |
この年の中日ドラゴンズは、与那嶺要監督の2年目のシーズンである。
概要
与那嶺監督1年目を3位とまずまずの滑り出しのチームはボビー・テーラーとジミー・ウィリアムの2人の外国人選手を入団させ、さらに広島の井上弘昭を交換トレードで獲得。開幕オーダーには前年レギュラー定着の大島康徳を1番に据え、3番と4番にテーラーとウィリアム、5番に谷沢健一を入れてスタート。この年は前年8連覇の巨人が開幕からもたつき、前半は大洋や広島と首位を争い終了間際には首位に立っていた。しかし後半に入ると大島や高木守道、井上といった主力選手が打てなくなりエースの星野仙一や稲葉光雄なども夏場に勝ち星に見放される誤算も続出。8月30日の阪神戦では江夏豊にノーヒットノーランを食らった挙句、サヨナラホームランも浴びるなど8月を7勝15敗で負け越したチームは9月1日のヤクルト戦もサヨナラ負け。巨人と阪神の僅差の争いに割って入れず、9連覇の巨人とわずか1.5ゲーム差ながらも2年連続の3位に甘んじた。投手陣は星野が16勝をあげ、松本幸行が14勝、渋谷幸春が11勝、先発4番手の三沢淳が10勝をあげた一方で、稲葉・水谷寿伸がわずか6勝に終わるなどの誤算もあったがチーム防御率は2.98で3位。打撃陣は高木が28盗塁で盗塁王を獲得し、谷沢健一が打率ベスト10の3位に入るなどの活躍で得点も巨人に次ぐ2位の441得点を記録した。カード別成績は巨人に16勝10敗、ヤクルトに15勝11敗と勝ち越すも阪神には9勝13敗4分と苦手にし、大洋や広島にも負け越すなど苦戦した。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 中日 | -- | 大洋 | -- | 広島 | -- | 中日 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 大洋 | 0.5 | 広島 | 0.0 | 中日 | 阪神 | 3.0 | 阪神 | 0.5 | 阪神 | 2.5 | 阪神 | 0.5 | |
3位 | 阪神 | 1.5 | 中日 | 1.0 | 阪神 | 1.0 | 広島 | 4.0 | 中日 | 1.0 | 中日 | 3.0 | 中日 | 1.5 |
4位 | 巨人 | 2.5 | 阪神 | 2.5 | 巨人 | 3.5 | 巨人 | 4.5 | 広島 | 2.0 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 4.5 |
5位 | 広島 | 3.5 | 巨人 | 4.0 | 大洋 | 4.0 | ヤクルト | 6.5 | 大洋 | 2.5 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 5.0 |
6位 | ヤクルト | 4.0 | ヤクルト | 7.5 | ヤクルト | 6.5 | 大洋 | 9.0 | ヤクルト | 3.0 | 広島 | 6.5 | 広島 | 6.5 |
オールスターゲーム1973
詳細は「1973年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン |
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選出なし |
ダイヤモンドグラブ賞 |
選出なし |
ドラフト
詳細は「1973年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照