1963年の阪急ブレーブスでは、1963年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。
1963年の阪急ブレーブス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 | |
57勝92敗1分 勝率.383[1] | |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 阪急西宮球場 |
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球団組織 | |
オーナー | 小林米三 |
経営母体 | 京阪神急行電鉄 |
監督 | 西本幸雄 |
« 1962 1964 » |
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の1年目のシーズンである。
概要
長く続くBクラスの脱却を図るべく、前年まで打撃コーチを務めていた西本幸雄が監督に昇格。西本新監督は小林米三オーナーの期待に応えるべく、鉄拳制裁などのあの手この手でチーム改革を試みるものの、負け癖が染みついたチームの体質改善までは至らなかった。投手陣では梶本隆夫や米田哲也に加えて石井茂雄・足立光宏などもローテを守ったが打線の援護なく負ける試合も目立った。打撃陣では4番の中田昌宏や石井晶、切り込み隊長のロベルト・バルボンが例年通りの成績を残したもののそれ以外の主力選手が軒並み不振に陥り、西本監督の1年目は球団初の最下位で終了した。チームは優勝の西鉄に13勝16敗1分と健闘したが、2位の南海には10勝20敗と負け越し、5位の大毎には7.5ゲームも引き離されて西本監督の1年目は終了した。この年からビジター用ユニフォームが一新され黒とオレンジをベースとしたデザインに変更された(1971年まで続く)。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 西鉄 | -- |
2位 | 東映 | 2.0 | 東映 | 4.5 | 東映 | 8.0 | 東映 | 7.5 | 西鉄 | 7.5 | 西鉄 | 3.5 | 南海 | 1.0 |
3位 | 阪急 | 4.5 | 近鉄 | 8.5 | 近鉄 | 11.5 | 近鉄 | 11.0 | 近鉄 | 9.0 | 東映 | 11.0 | 東映 | 10.5 |
4位 | 西鉄 | 5.0 | 大毎 | 9.0 | 西鉄 | 13.5 | 西鉄 | 13.0 | 東映 | 10.0 | 近鉄 | 12.0 | 近鉄 | 12.5 |
5位 | 大毎 | 5.5 | 西鉄 | 10.0 | 大毎 | 19.5 | 大毎 | 16.5 | 大毎 | 16.5 | 大毎 | 17.5 | 大毎 | 23.5 |
6位 | 近鉄 | 7.0 | 阪急 | 13.0 | 阪急 | 19.5 | 阪急 | 21.0 | 阪急 | 23.0 | 阪急 | 25.0 | 阪急 | 30.5 |
オールスターゲーム
詳細は「1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン |
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選出なし |