歴史
1530年(享禄3年)、松平清康の開基である。ある日、清康は左手に「是」の字を握る夢を見た。この夢の意味を龍渓院住職の模外惟俊に問うたところ、「『是』は『日下人』に分けることができ、これを握るということは天下統一を果たす天下人になるという意味になる。清康様が果たせなくても孫の代までには実現する。」と答えた。これを聞いた清康は大いに喜び、居城の岡崎城下に模外惟俊を開山とする寺を創建した。当時の松平氏の菩提寺として大樹寺が既に存在していたので、家臣の酒井正親に管理を任せ酒井氏の菩提寺となった[1]。ちなみに清康の孫が徳川家康である。
その後の酒井氏の転封に合わせて当院も前橋藩に移転した。しかし、1749年(寛延2年)の姫路藩転封に際しては、当地に留まった。それでも姫路藩の藩主となった酒井氏の菩提寺であり続け、明治以前に死去した酒井忠顕まで当寺に葬られている。
文化財
交通アクセス
- 前橋駅より徒歩15分。
脚注
参考文献
- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年