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この項目は(画像改訂依頼)に出されており、駅舎画像をより明るい時間の画像とするよう画像改訂が求められています。(2021年6月) |
概要
下関駅が管理している無人駅であり、駅舎内に自動券売機が設置されている。かつては有人駅であり、キオスクも出店していた。なお、無人駅化後もキオスクがしばらくの間営業していた。(常備券も販売していた。)
周辺は下関市中心部のベッドタウンとなっている。
駅名の「黒井村」とは、かつて当地に存在した村名に基づく。黒井村は1955年(昭和30年)に合併し豊浦町となり、さらに現在は下関市に含まれている。
かつて当駅付近に立地していた「マリンピアくろい」では毎年夏期に「くろいジャズフェスティバル」(のち「くろいシーサイドサウンド」)が開催され、1980年代から1990年代にかけては開催当日に博多と当駅の間を結ぶ臨時快速列車「くろいジャズフェスティバル号」(のち「くろいシーサイドサウンド号」)が運転された。
歴史
- 1914年(大正3年)4月22日:長州鉄道の駅として開業[1]。客貨取扱を開始。
- 1925年(大正14年)
- 1933年(昭和8年)2月24日:小串線が山陰本線に編入され、山陰本線所属駅に変更[4]。
- 1955年(昭和30年)4月1日:豊浦町成立に伴い、所在地表示が山口県豊浦郡豊浦町大字黒井になる。
- 1978年(昭和53年)9月5日:貨物取扱を廃止[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる[5]。
- 1991年(平成3年)4月1日:無人駅となる。
- 2005年(平成17年)2月13日:下関市(第2次)成立に伴い、所在地表示が現行のものになる。
駅構造
島式ホーム1面2線で交換設備を有する地上駅。駅舎は線路東側にあり、ホームへは跨線橋で結ばれている。
のりば
- ※案内上ののりば番号は設定されていない。
駅舎内観(2016年8月)
ホーム(2016年8月)
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通り。2021年の年間利用客数は6万8570人である[6]。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
1999 | 515 |
2000 | 506 |
2001 | 495 |
2002 | 454 |
2003 | 431 |
2004 | 407 |
2005 | 389 |
2006 | 384 |
2007 | 361 |
2008 | 353 |
2009 | 334 |
2010 | 335 |
2011 | 339 |
2012 | 316 |
2013 | 322 |
2014 | 289 |
2015 | 288 |
2016 | 266 |
2017 | 251 |
2018 | 245 |
2019 | 238 |
2020 | 192 |
2021 | 188 |
駅周辺
バス路線
駅前に「黒井村駅」停留所、駅前交差点そばの国道191号上に「黒井」停留所がある。サンデン交通は黒井停留所のみに停車。ブルーライン交通は路線・便により停車地が異なる。
隣の駅
脚注
- ^ a b 「通運」『官報』1914年4月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 内閣印刷局, ed (1925‐05-26). “鉄道省告示 第85号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3825) .
- ^ 内閣印刷局, ed (1925‐08-01). “鉄道省告示 第141号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3882) .
- ^ 内閣印刷局, ed (1933-02-18). “鉄道省告示 第42号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1839) .
- ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、318頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。
- ^ 山口県統計年鑑 - 山口県
関連項目
外部リンク
- 黒井村駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道