黄 珞周(ファン・ナクチュ、朝鮮語: 황낙주、1928年3月22日 - 2002年12月12日)は、大韓民国の政治家。第8・9・10・12・13・14・15代大韓民国国会議員、元国会議長。本貫は長水黄氏[1]。
慶尚南道の鎮海で生まれた。馬山商業高等学校を卒業した後、ソウル大学校商学部に進学した。その後、鎮海女子中・女子商業高校の校長などを務めた後、1971年に行われた第8代総選挙にて政界入りした。その後も政治家としての活動を続け、第14代国会では2期の国会議長を務めた。
1980年の5・17非常戒厳令拡大措置時には、戒厳軍によって占領された国会議事堂を通り抜けようとして連行され、その様子が写真に収められた[2]。
2002年12月11日の夜、(三成洞)にある自宅のトイレで倒れ、搬送されたが翌日の0時30分に搬送先のソウル峨山病院にて74歳で亡くなった[3][4]。
学歴
- 鎮海京華初等学校卒業
- 馬山商業高等学校卒業
- ソウル大学校商学部経済学科卒業
- 早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻
- 1999年に昌原大学校で名誉博士(文学)の学位を取得した。
経歴
- 鎮海女子中・女子商業高校校長・理事長
- 新民党慶南支部副委員長及び慶南第6地区党委員長
- 自治体促進闘委慶南支部長
- 新民党慶南道党委員長・院内首席副総務・政務委員・中央人権擁護委員長
- APU韓国代表
- 新民党院内総務
- 統一民主党政務委員
- 国会動力資源委員長
- 民主自由党中央委議長
- 国会副議長
- 国会議長