高階 業遠(たかしな の なりとお、康保2年(965年) - 寛弘7年4月10日(1010年5月26日))は、平安時代中期の貴族。左衛門権佐・高階敏忠の子。官位は従四位上・春宮権亮。
経歴
一条朝の中期に(越中守)を務めたほか、春宮少進/大進/亮として春宮・居貞親王(のち三条天皇)にも仕えた。寛弘元年(1004年)羅城門の移築の功により(丹波守)に重任され、翌寛弘2年(1005年)には豊楽院造営の宣旨を受けている[1]。寛弘4年(1007年)再び丹波守に重任されるが、寛弘7年(1010年)3月に病気のため丹波守を辞任し、同年4月10日に(卒去)。享年46。最終官位は春宮権亮従四位上。
左大臣・藤原道長の家司として無双の者と評された[2]。また、高倉に邸宅があったが、業遠の没後に道長や頼通が度々滞在している[3]。
官歴
系譜
『系図纂要』による。
脚注
参考文献
- (宮崎康充)編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年