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東宮(とうぐう・みこのみや)、あるいは春宮 (しゅんぐう・はるのみや)とは、皇太子の居所、つまり住居する場所を意味し、転じて、皇太子そのものを意味する言葉にもなった。
概要 唐の太宗李世民が皇太子時代に尚書令として、皇帝の居住する太極宮の東で執務したことに由来する。東も春にも五行思想での「若い」という意味があり、春は万物の生長する季節で、また易で東を「震」といい、「震」は長男とされていた。職司として、皇太子の輔導を管掌とする東宮傅および東宮学士があり、東宮職に屬していた。また皇太子の宮の内政を取り扱う役所を春宮坊といい、その付属機関として、三監(さんげん)・六省を配下に置いていた。
古代日本の史料における東宮・春宮の初見は、『日本書紀』巻第二十一の
是の皇子(=
厩戸皇子)、初め上宮
(かみつみや)に居
(ましま)しき。後
(のち)に
斑鳩(いかるが)に移りたまふ。豊御食炊屋姫天皇
(とよみけかしきやひめのすめらみこと)(=
推古天皇)の世
(みよ)にして東宮
(みこのみや)に位居
(ましま)す
[1]
であり、さらに『日本書紀』巻第三十には
直広壱
(ぢきくゎういち)当麻真人国見を以て東宮大傅
(みこのみやのおほきかしづき)とす。直広参
(ぢきくゎうさむ)路真人跡見をもて春宮
大夫(みこのみやのつかさのかみ)とす。直大肆
(ぢきだいし)巨勢朝臣粟持(こせのあそみあはもち)をもて
亮とす
[2]
とある。同年には(無遮大会)を東宮に設けた[3]、ともある
脚注 [脚注の使い方]
- ^ 『日本書紀』用明天皇元年5月1日条
- ^ 『日本書紀』持統天皇11年2月28日条
- ^ 『日本書紀』持統天11年3月8日条
参考文献関連項目 ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。