高祖 和弘(こうそ かずひろ、1959年(昭和34年)3月6日 - )は、佐賀県佐賀郡川副町(現在は佐賀市川副町)出身[1]の元サッカー選手、サッカー指導者。
略歴
小学6年生のときにサッカーを始め、ポジションは当時からゴールキーパーだった[2]。佐賀東高校、天理大学を経て、1981年より松下電器産業サッカー部に在籍[3]。1988年からはコーチを兼任し[3]、1991年に現役を引退[2]。
1992年から1997年まで松下電器の後身となるガンバ大阪でGKコーチを務める。1999年、妻の出身地であるブラジルで1年間を過ごす[2]。2000年にサガン鳥栖の監督に就任。この年はなかなかの健闘を見せ6位でシーズンを終える。しかし、2001年は戦力低下に伴い苦戦を続ける。慢性的な経営不安に陥っていた親会社は、地元出身である高祖にクラブ社長への就任を打診。一度は社長就任が正式に発表されたが、後に辞退した。この年のシーズン終了後に監督を解任された。
清水エスパルスにて強化スタッフ、育成部門コーチを経て[2]、2005年から履正社医療スポーツ専門学校サッカーコース長兼サッカー部監督を務めている[2]。
所属クラブ
個人成績
指導歴
監督成績
年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2000 | J2 | 鳥栖 | 6位 | 40 | 48 | 15 | 5 | 20 | 1回戦 | 3回戦 |
2001 | J2 | 鳥栖 | 10位 | 44 | 32 | 10 | 4 | 30 | 1回戦 | - |
※2001年のリーグ戦終了後に解任されたため、この年の天皇杯の指揮は取っていない。
出典
外部リンク
- 高祖和弘 - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- 高祖和弘 - J.League Data Siteによる監督データ
- サガントス絆プロジェクトシリアルNo. 00515