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高校サッカー

高校サッカー(こうこうサッカー)は、高校生が高校のサッカー部で行うサッカーである。また、高校生を対象とするサッカー大会をいう。

教育機関とクラブユース

世界的潮流

ヨーロッパや南米のサッカー界では若手の優秀な選手に対してクラブチームが下部組織を整備し、多くの投資を行い個々に選手を育成していくのが一般的であり、高校や大学のサッカーとして全国レベルの大会が組織化されているわけではない[1]。そのなかで、イングランドでは、全国学校サッカー協会ESFA(en:English Schools' Football Association)では、高校サッカーを含め、さまざまなカテゴリーで全国大会を開催している。そしてプロとして活躍している選手も多く輩出している。

学校単位での育成フットボールアカデミープログラムを設ける学校があり、例えばイーストサセックスにあるBuckswood Schoolの『Football Academy』[2]帝京ロンドン学園サッカーコース[3]などのような学校もいくつかある。en:Independent Schools Football Association(ISFA)でも、ISFA加盟校間のノックアウトコンテストであるBoodlesISFAカップを開催している。

スコットランドではサッカー協会が中等学校をパフォーマンススクールとして認定し育成を支援するシステムがある。ただし全国規模の大会はクラブのユースセクションに開かれているスコティッシュユースカップ(en:Scottish_Youth_Cup)である。

ほかにヨーロッパではサッカーアカデミーが整備され、スペインならばMadrid Football Academy(マドリード)、International Development Academy(バレンシア)、 Kaptiva Sports Academy(バルセロナ)、フランスならば International Centre of European Football(エビアン)などがある。

同アカデミーでは高校生世代の選手たちが寮生活を送り、プロのスカウトやコーチ陣の目が行き届く環境でサッカーを行う。地元高校生のほかに国外国籍の留学生もおり、各アカデミーでは普段は基本的にFIFA規定を受けない地元リーグ戦に出場している。そうしたリーグであれば留学生選手でも国籍条項などの細かい制限は掛からずに地元選手と同様に公式戦出場が可能である。また、クラブチームユースなどが出場するヨーロッパのユース世代において最高峰のトーナメントである(MIC)などのトーナメントにも参加している。

アカデミー生徒は各アカデミーに併設されている学生寮でサッカーのほかに留学生ならスペインではスペイン語、フランスではフランス語を学びながら寮生活を送り学校教育を受けるが、アメリカ合衆国の教育プログラムを導入していることがあり、こうしたアカデミーではアメリカの高校卒業資格を取ることができ、授業やトレーニングは基本的に英語で行われる。留学生用には英語クラス(ESL)も用意されている。

アメリカ合衆国は、組織は全米ユースサッカー協会en:American_Youth_Soccer_Organizationや全米州立高校協会連盟en:National_Federation_of_State_High_School_Associationsのサッカー部会が知られるが、学校スポーツはサッカーに限らずすべてのスポーツがシーズン制という形式がとられている。これはある季節ごと、春に陸上競技野球の大会、夏は夏休みで秋のスポーツの準備にあて、秋になるとアメフトバスケットボール、冬にサッカーなど、とある競技はある期間でしか行われない。

ただし男子ではDA(development academy) と呼ばれるアメリカサッカー協会が管轄する、北米メジャーリーグ(MLS)の下部組織ができ、ここでは年中でサッカーが行われる。

一方、女子も含め現在でも、同国のユース年代は日本同様に高校と大学でのサッカー部に属して競技が続けられている。そして各学校に、学年をベースとしたトップチーム、セカンドチーム、Cチームと基本3つのチームを持ち、それぞれ州ベースのステイトカップがある。

トップチームは(varsityとも呼ばれる)実力次第でどの学年の選手でも加入することが可能。各学校の代表で、シーズンを通して対抗戦を行い、シーズンの終わりにはステイトカップなどに参加する。そしてセカンドチーム(junior varsity(JV)とも呼ばれる)は基本的に日本の中学3年に相当する9th gradeから、日本の高校2年に相当する11th gradeまでの学年、つまりU-15から17世代で構成される。それより上の学年の選手でサッカーをしたいがトップチームに入れない選手の場合、学校チームでのプレーはできない。最後のCチーム(freshman teamとも呼ばれる)は9thと10th gradeの選手つまりU-15と16世代だけで構成される。このチームは基本的に新たに高校に入ってきて間もない選手らのチームという位置づけで、他校のfreshman teamとシーズンマッチを行っていく。

各チームへ加入するのはスカウトでのほか、シーズン直前にあるトライアウトが設けられている。これには通常は100人ほど選手が受け、各チーム20人前後の選手を合格させて構成される。

学校チームに漏れた選手やシーズン以外にもプレーする場合は、トラベルサッカーと呼ばれるクラブチームが設けられている。アメリカのユース・高校年代ではDAチームに所属していなければ、年中同じチームでプレーする必要はなく、高校サッカーのシーズンが終了してもサッカーを続けたい場合であれば、プレーができるチームを探すことになる。

トラベルサッカーではチームでトーナメントに参加したり、大学のコーチなどが視察に来るShowcaseと呼ばれるものに参加する、大きなチャンスでもある。その他、高校サッカーと違って選手のほうで自分の実力を加味して自分にあった所属するチームを決めることが可能である。

なお指導は選手は一人ひとり違うという考えに基づいており、指導者が指導を施すことはなく、選手から聞かれた質問に対して教える、という指導スタンスになっている。

アメリカと共通項が多いカナダの場合、気候的なこともあり、雪が降る地域や気温がマイナスを超えるエリアでは当然冬はサッカーが出来ない。カナダの高校では、日本と同様のサッカー部の部活動はシーズン制を敷いている学校であると、主に2月から5月がサッカーのシーズンで、それ以外は他競技を行っているが、カナダではレギュラーシーズン後つまり学期後の6月から8月に渡り、所属するチーム以外のクラブチームや、ショーケースのキャンプに参加し、スキルアップと大学やプロクラブからのスカウト陣の前でプレーを披露する機会がある。高校の部活動だけでは物足りない、一年中サッカーに打ち込みたいという学生は、民間のクラブチームに所属し放課後及び週末に活動をすることも、2つのチームを掛け持ちということも可能である。但し学校の部活動ではないため、大会の予定によっては学校を欠席しなければならないこともある。

このほかにカナダの高校にはアカデミーと呼ばれる、スポーツのほかに芸術、文化の専門分野について集中的に学んで習得する、練習が出来る仕組みがある。サッカー以外のスポーツも、またスポーツ以外にも、ダンス、演劇、映像制作など芸術の分野などのアカデミーも存在する。そして他の学習科目と同じように単位取得に換算することが可能となっているが、このアカデミーは授業が終わってから行う部活動とは違って、授業時間中に活動が実施されている。そのため単位を取得することが出来るのである。ただしサッカーなどの場合は初心者向けではなく、ある程度経験年数と実績が必要でありまた受け入れ人数に制限があるほか、通常の授業料とは別に費用が掛かる場合がある。

全国大会的な存在もアメリカと同様にカナダの高校サッカーにもなく、各州内で地区を分けリーグ戦を行い、各リーグの代表がプレーオフを勝ち抜き、州の王座を決める大会までである。ただし州によっては高校だけでも約1,000校あると、その州の大会参加高校だけでも相当数になる場合もある。

北米リーグはドラフトがあるため、高校代表メンバーに入ることがひとつの目標であるが、これは州代表や国代表に選ばれると一気にスカウトへの露出が広がるため、強豪大学やドラフト候補に名を連ねる可能性が高くなるからである。

カナダのジュニア年代レベル・カテゴリーはU15世代以上であると、一番上にMLSのチーム下部組織(ジュニアユース)があり、彼らは同じメジャーユースチーム同士でシーズンを通して対戦。次は、BCプレミアリーグという州クラブチームのリーグがある。州をまたいで遠征するのでこれもかなり長旅になるものもある。その下にメトロという州内と周辺のエリアでのリーグになる。さらにその下にはゴールド、シルバー、ブロンズとなっており、このゴールドやシルバーにもゴールド1、ゴールド2と2つのレベルに区分され、小さい数字ほど高いレベルになる。シルバー1で王座になったチームが、次のシーズンに上位のゴールド2に挑戦するなどもあるが、年代によってはゴールドリーグが3まで在る、またブロンズリーグが無いということもある。カテゴリーの区分は年代によって違い、特にU12以下ではゴールドが最高レベルとなる。つまり小さな年代ほどメトロリーグ以上がないので、そのぶんゴールドが増えたりブロンズリーグが生まれる傾向にある。そして一番下にはその町エリアで行うハウスのリーグがある。どのレベルでもセレクションがあり、それをクリアして入団するが、BCプレミアリーグ以上はスカウトがないとなかなか入団できず、スカウトを受けて練習に参加しチーム内の競争でレギュラーの座を獲得という過酷な面がある。

韓国は[4]にて分析のとおり、大韓サッカー協会(KFA)で指定校制度を小学校サッカー部から制度化し、頂点を目指すエリートとそれ以外の選手が早くも小学生段階で選別される。

同国KリーグではすべてのクラブにU-12、U-15、U-18のユースチームを設けることを義務付けているが、韓国Kリーグの下部組織は何処も基本的には地域の小中高と提携をしているので、学校の部活がクラブチームという形になっている。特に高校は地域にもとあった強豪高校を傘下に組み込んている。

韓国のユース育成事情は、かつての日本同様に、韓国でも学校体育が選手発掘と育成の場を担ってきた。

韓国のスポーツはエリートスポーツ主義と呼ばれるように、子供のうちにスポーツに才能があることを見い出されれば、勉強はそっちのけでスポーツに専念するような仕組みになっていることが知られ、サッカーも例外ではなく、その育成も少数精鋭のエリート主義と徹底的なスパルタ指導であったが、近年では正規の授業を受けながらサッカーの練習もしている現状がある[5]

かつての通称「四強制度」(サガン・チェド)つまり『体育特技者制度』もよく知られていた。このシステムは年に数回あるトーナメント方式の全国大会で好成績を残さねば、次に進学する学校、すなわちサッカー部がある学校にスポーツ特待生としてスカウトされないという韓国独自の選手選抜システムであり、大会で所属チームがベスト4になる必要があるため、通称の名で呼ばれる。全国大会は 年に何回かあり、ベスト4以上の戦績を収めた指定校のなかから、つぎの進学先 の指定校サッカー部へ推薦入部できる選手が決まるというものである。

韓国もアメリカ同様、高校サッカー部に入るのには推薦以外ではセレクションであって、希望して誰もが入れるのではない。そしてクラブの下部組織ゆえ指導者がプロであるというところに大きな特徴がある。

チーム編成は30数名ぐらいの人数で動いており、その人数に対してスタッフが5名ぐらいが付き、大人数でしっかり指導がなされる。そして選手は中学生からは皆クラブの寮に入ることが義務づけられている。

こうして中学進学から高校、大学進学の際と、ふるいにかけられていく。同国では大学進学に熱心な側面もあり、大学進学の仕組みが整えられている同制度の評価は高く、韓国のエリート主義が根本に残る要因となっている。このためサッカー部の数や競技人口は驚くほど少ない[6]

ただし韓国人は国技はサッカーと誰もが口にするほどサッカー人気は高く、サッカーが不人気だったわけではない。チョギ・チュックと呼ばれる草サッカーや、引退した有名選手が運営するサッカークラブ教室も盛んであった。ただし当時の協会は学校スポーツとして行われるサッカー活動のみ協会登録を認めており、韓国の高校サッカー部の置かれている状況は前述の通りである。

四強制度が象徴する激烈な競争は、選手の勝利への執念をかきたてていった。つまりサッカーを続けていくためには、進学のたびに所属したチームが好成績を残さねばならないわけであるので、選手たちはそうした過酷な生存競争の中で、強靭な体力、不屈の精神力、そしてここ一番での勝負強さといった韓国サッカーの伝統を心と体に染み込ませていくのであった。しかしこうなると選手も指導者も勝利至上主義にならざるを得ない。そのため、技術や戦術知識の習得に多くの時間を割くよりは、手っ取り早く相手を圧倒できるようスピードと体力強化にどうしても主眼が置かれてきたといってもよい。

一方、激しさばかりを追求したがために、スキルフルな選手が生まれにくい環境にもなっていた。実際、気力と体力の一本調子サッカーは、アジアでは勝てても世界の舞台では苦戦。さらに2002年ワールドカップあたりを境に、これまでの勝利至上主義からか、ラフプレーの横行などの問題も指摘され、是正する方向に向かった。そして少数精鋭主義は人材の固定化を招き、埋もれた原石も発掘しにくい面も浮き彫りになる。

特に日本とは対照的な結果に終わったことで知られる1999年に開催されたワールドユース選手権で、自国のサッカー育成環境の弊害と限界を思い知らされた協会は、この年を境に抜本的な改革に乗り出している。底辺拡大路線として、ユース育成費用を協会年間予算に盛り込むことを決める。2000年度からはサッカー部の新規創部を計画する小、中学校に対して支援金を支給を開始した。

2002年にはKリーグ各クラブにユース育成のための下部組織の設立を義務づけ、2003年からはそれまで協会管理下になかった地域のサッカー教室として活動していたクラブチームを登録し、学校サッカー部は1種、クラブは2種という形区分で分類化して底辺拡大に努めたのである。

2008年からは高校チャレンジリーグをスタートさせる。これはリーグ傘下クラブと高校サッカー部が熱戦を繰り広げるリーグ戦である。この世代はこれまでトーナメント戦ばかりが実戦機会だったが、これによって毎週末試合が組まれるようになった。これらリーグ戦の開催で、協会は将来的には選手やチームの競争心を煽るためだけのトーナメント戦をなくそうともしているとみられ、それはつまり四強入りで大学進学が可能という特殊なシステムを生み出したある種学歴偏重社会となっている制度への挑戦と受けとめられている。実際、サッカーで学歴を取得できる既存制度を支持する指導者や父兄からは相応の反発があったとされる。一方でリーグでは2013年から、チーム内における若手選手の登録に関する規則が設けられた。すべてのクラブはスターティングイレブンの中にU-23選手を一人は含める必要がある。リーグ内のU-22選手の数も増加傾向にある。つまりそうした選手を早くに育てて登録する必要があるのである。

また高校生を対象に大韓サッカー協会優秀選手海外留学プロジェクト優秀選手海外留学プログラムを立ち上げ、選手を育てている。

熱烈なサッカーファンで知られる習近平国家主席の肝いりで策定された「サッカー改革発展総合計画」で『少年足球養成』と題されたドキュメンタリー映画で日本の高校サッカーをテーマにするほどである中国の場合、通常の高校だけでなく小中学校にも部活動というものがないことが圧倒的であるため、学生たちはサッカーをする機会すら存在しないといえるのが現状であり、従って中国には全国規模で行われている高校生のサッカー大会も存在しない。中国の学校はとかく進学率を上げることにしか興味がないことに加え、体育の授業まで他の科目に変更になることが多いというのが現状だとされる。また子供が学校でケガをしようものなら親からクレームが来るので、体がぶつかりケガをしやすいサッカーなどは学校も避ける傾向がある。つまりは学校も責任を負わされることを最も恐れているのであり、さらに学校は子どもの成績重視から毎日かなりの量の宿題が出るとされ、そして宿題が終わるのが夜遅くになり、他の時間が全くとれないという。

このため2015年からは国務院と教育部において全国青少年校園足球部門なる組織の設立が認可されて、サッカーを特色とする学校を発足から2年間で約1万3千校設立させ、同時に69の地域をサッカー改革地域として指定されていくことになった。

中国ではそれまではサッカー育成はプロチームの発足に伴い設置された下部組織や全国に足球学校/基地なるサッカーアカデミーが用意されていて、基本的に中学生年代には街のクラブチームがあってまずはそこでプレーし、実力がある選手が随時上記の組織に移る仕組みとなっている。つまりはその先の高校になると先のとおり中国では部活動というのが基本的にないため、下部組織やサッカーアカデミーに入れなかった選手は、高校のサッカー部に入りサッカーを続けるという選択肢はなかった。このため中学生までに頭角を現した選手でないと本格的なサッカーを続けることができないことになっていた。

下部組織やサッカーアカデミーへ入った場合、全員が全寮制の宿泊施設で共同生活をする。アカデミーの場合は母体は会社運営で、小学校から高校にあたる生徒らを預かるが、どちらも一般的な学校で教育するのではなく、チームが準備する教育塾が最低限の教育だけを行う。

こうした生活を敷地内で送りトレーニングに励んで行くのが一般的であるが、自宅からの通いでチーム活動をしている下部組織もある。

一方で先の特色のある学校の場合、授業は普通の学校とほぼ変わらない内容で受け、体育の授業が全てサッカーという学校生活を送る。

育成組織によっては、同じアカデミーの中に先のサッカーを特色とする学校の部活に所属している選手とクラブ下部組織もしくはアカデミーに所属している選手が混同している組織もある。学校所属選手とアカデミー所属選手の違いには受けるサービスに大きな違いがあり、学校所属選手は学費や衣食住の費用から遠征費用まで自己負担であるが、クラブ下部組織やアカデミー所属選手は塾の費用はもとより衣食住や遠征費まで全て所属クラブの、アカデミーなら運営会社の負担である。従って海外遠征も下部組織所属選手らならば幼年期ぐらいから行くこともあるが、期間が1ヶ月などの長期期間ともなるとクラブが全額負担であるためにかなりの金額が動くという。

日本

日本では学校機関での部活動としてサッカーに取り組んでいる学校が多いが、高校生年代におけるサッカーの場合、野球など他のスポーツとは違い、全国高等学校体育連盟(高体連)と日本サッカー協会が主管する高校の部活動(日本の「高校サッカー」)[7]の他に、いわゆるクラブユースという選択肢もある。特にJリーグ発足後はJリーグクラブのユースチームでプレー後プロで活躍するケースが増えており、中学生年代でのエリートがクラブユースを選択し、そこから漏れた生徒が高校サッカー部を選択する、という潮流に成りつつある。2006年のAFC U-17選手権で優勝したU-16日本代表においては、登録メンバー22名中高校サッカー部所属者はわずか1名であり、象徴的な結果となった。

そのような中で、中村俊輔本田圭佑のように、中学生年代ではJリーグクラブのジュニアユースに所属していながらユースチームへの昇格がならなかったものの、高校サッカー部でその実力を開花させた選手も存在する。これはクラブユースチームの数は高校サッカー部に比べれば極めて少なく、そこに加わることの出来る選手はごく限られているからで、中澤佑二中村憲剛のように高校時代は全く無名ながら後に日本代表までのぼる選手もおり、そうした才能を掬い上げる目の細かな網として高校サッカー部は極めて重要視されている。Jリーグ発足後も川島永嗣岡崎慎司長友佑都長谷部誠内田篤人乾貴士浅野拓磨など、高校(さらに大学まで進学して)サッカー部出身者は相変わらず多く、従ってJリーグクラブにとって、高校サッカーも依然として貴重な選手の供給源である。また選手にとっても、「冬の国立」として知られる全国高等学校サッカー選手権大会[8]が憧れの舞台である事は変わりない。特に選手権大会は日本テレビが幹事局になってテレビ中継される影響でクラブユースと高校サッカーではマスコミによる扱いの差に著しく隔たりが生じ、クラブユースのみの大会はスポーツニュースで取り上げる機会が皆無に等しいという事情もあって、ジュニアユースからユースへの昇格が確実視されながら、冬の国立を目指して高校サッカー部を選ぶ選手もまだ少なからずいる[8]

全国的な高校サッカーの大会としては他に、全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(夏のインターハイ)がある。

上記2大会にクラブユース勢との混合で、2種(高校生年代)の日本一チームを決める高円宮杯U-18サッカーリーグを含め、三大大会と称する。U-18サッカーリーグの前身である高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会やユースチームがなかった時期においては、高校サッカーチームの選抜者のみで構成された国民体育大会のサッカー競技少年の部を三大大会に数えていた。

女子を対象にした高校サッカー大会は上記の夏のインターハイ女子サッカーの部と、1992年より全日本高等学校女子サッカー選手権大会が実施されている。

高校年代サッカーで優れた才能がクラブユースにも集まった結果、高校サッカーで従来エリート選手が集中していた強豪校・名門校の地位が下がり、また優れた指導者が高校年代のみならず、小・中学世代でも全国各地で増えつつあることで、選手層の底上げが全国的に進んでいることもあって、高校サッカーは「戦国時代」を迎えている。

なお、日本サッカー協会主催の天皇杯は、各都道府県予選に高校生チームも出場可能。もちろん高体連所属の高校サッカー部のみではなく、各県都道府県2種登録チーム全て、つまり高校サッカー部の他にクラブユースにも門戸が開かれている。ただしクラブユースは大都市圏に集中している傾向が強く、2種登録チームをどう都道府県予選に参加させるのかは、当該都道府県により事情が異なる。そして高校サッカー部の年間スケジュールの関係もあり、天皇杯に特化した予選を行うのは難しい事情もあり、2種登録チームの天皇杯予選出場校の条件を他の大会(高円宮杯U-18サッカーリーグ、プリンスリーグなど)の成績と兼用にしている都道府県が多い。各都道府県での高校生チームの予選出場条件の詳細については天皇杯全日本サッカー選手権大会や各都道府県予選大会の記事を参照。

日本でもヨーロッパのクラブチームのように個々を重視した育成を見習うべきとの意見があるが、一方でイビチャ・オシムが日本の部活動のシステムを世界的に見て素晴らしいシステムと述べるなど学校機関での部活動を積極的に評価する意見もある[1]。例えば、高校サッカー部出でも柴崎岳大迫勇也らの場合は、中高一貫校でプレーしていた。このため柴崎は中3の時点で既に青森山田高校のチームに入ってプリンスリーグ東北を経験していたことが知られる。

埼玉県でFC LAVIDAと昌平高等学校、千葉県で房総ローヴァーズ木更津FCおよび拓殖大学紅陵高等学校サッカー部、のような3種(中学生)も抱える地元クラブと高校の一貫体制も増えている。奈良県でBoscovilla Soccer Academyの場合は公立の奈良県立山辺高等学校と連携している。

環境、人材共有は非常にメリットがあり、6年制によって高い目標に向けて指導をする際の時間的な余裕も得られる。

Jリーグユースチームとの提携校も増えている。

例を上げると、 サンフレッチェ広島ユースと広島県立吉田高等学校並木学院高等学校柏レイソルユースと日本体育大学柏高等学校鹿島アントラーズユースと鹿島学園高等学校東京ヴェルディユースと(中央アートアカデミー)高等部、 ベガルタ仙台ユースと仙台大学附属明成高等学校アルビレックス新潟ユースと開志学園JAPANサッカーカレッジ高等部、 京都サンガユースと立命館宇治高等学校ガンバ大阪ユースと追手門学院高等学校セレッソ大阪ユースと興国高等学校ヴィッセル神戸ユースと神戸学院大学附属高等学校ファジアーノ岡山ユースと岡山学芸館高等学校サガン鳥栖ユースと龍谷高等学校 などの提携がみられる。

JFAアカデミー福島は発足時男女とも地元福島県立富岡高等学校との提携関係が結ばれ、男女双方のサッカー部設立・強化の方針が打ち出された事により、富岡高校は全国大会出場までに至る。

Jリーグ加盟のサッカークラブのうち、ガイナーレ鳥取のクラブが設立したU-18と連携している米子松蔭高等学校は同クラブ公式スポンサーでもある。

(FC琉球高等学院)のようにJリーグクラブが運営するものもある。

提携は、クラブユース選手が提携先の通信制高校サポート校に通うといったことや、Jリーグクラブユースの指導者が高校サッカー部の指導にも入ったり、クラブの練習場などを学校に貸し出すことで強化の相乗効果も期待されることがある。また近年ではJリーグのユースチームでトレーニングを受けながら、高校卒業時点でトップチーム昇格がかなわなかった場合に、提携先の高校の系列大学へ進学をする、などのような運営をしている場合もみられる。

身体への影響

高校サッカー選手を対象とした調査で古後ほか(2018)[9]は、成長期スポーツ障害であるオスグッド・シュラッター病は軸足に発生しやすく、発症した場合は非発症者と比較し軸足の大腿直筋筋厚が有意に低いとの報告した。

脚注

  1. ^ a b 三田紀房『成功の五角形で勝利をつかめ!』大和書房、2008年、177頁
  2. ^ “Buckswood Football Academy” (英語). Buckswood School. 2021年8月18日閲覧。
  3. ^ “帝京ロンドン学園 サッカーコース | イギリスサッカー留学”. 帝京ロンドン学園サッカーコース. 2021年8月18日閲覧。
  4. ^ 飯田義明「韓国におけるスポーツ政策とサッカー界の現状」『専修大学社会体育研究所報』第60巻、専修大学社会体育研究所、2013年3月、28-29頁、ISSN 0288-4135、NCID AN00132552。 
  5. ^ “「欧州とは違う」日韓戦惨敗で揺れる韓国。英雄パク・チソンが旧態依然のシステムに苦言。「最も深刻だと感じるのは…」 | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2022年8月3日閲覧。
  6. ^ 1998年12月の時点で 小学校225、中学校153、高校109、大学52の合計539校、協会登録されている選手 数も男子で1万7千人弱である。国民総人口に差があるので単純比較はできないが、日本の場合は登録競技者人口80万人を超える。
  7. ^ 部活動である日本の高校サッカーは高等学校中等教育学校の後期課程の生徒、高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行うサッカー活動のことをいう。
  8. ^ a b 全国高等学校サッカー選手権大会
  9. ^ 古後晴基, 満丸望, 岸川由紀「男子高校サッカー選手におけるオスグッド–シュラッター病発症後の調査」『理学療法科学』第33巻第3号、理学療法科学学会、2018年、467-472頁、doi:10.1589/rika.33.467、ISSN 1341-1667、NAID 130007403042。 

関連項目

外部リンク

  • 全国高等学校体育連盟
  • 日本サッカー協会
  • - ウェイバックマシン(2008年2月10日アーカイブ分)全国の新聞社から集められた記事や記録
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