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略歴
天和元年(1681年)7月11日、先代藩主で兄の高木正豊が嗣子無くして若死にしたため、その跡を継いだ。同年7月22日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。
元禄元年(1688年)には叡福寺の上の御堂、二天門、回廊、鐘楼を建立している。
元禄2年(1689年)5月14日、(大番頭)に就任する。同年12月27日、従五位下・主水正に叙任する。元禄12年(1699年)2月2日、河内国丹南郡内の領地の一部を下野国足利郡内に移される。正徳元年(1711年)1月11日、奏者番に就任する。元文6年(1741年)正月に病に倒れ、2月5日に死去した。享年77。跡を養嗣子の正恒が継いだ。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。
茶人であり、一尾伊織の門人の一人であった。