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高木 守富(たかぎ もりとみ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。石高は5,000石。通称は善左衛門。官位は従五位下・伊勢守、近江守。剣術家で(玉影流)を開いた。
略歴
河内国丹南藩祖・高木正次の弟・(守次)の系統。丹南藩分家筋の大身旗本・(高木守節)の子として誕生した。幼名を豊松。
父・守節(当時中奥小姓)が34歳で没し、明和5年(1768年)11月4日5歳にして家督を継ぐ。天明6年(1786年)12月18日、従五位下・伊勢守に叙任された。小姓組番頭、西丸書院番頭、本丸書院番頭、大番頭などを歴任した。天保5年(1834年)、72歳で没した。墓所は麹町の栖岸院(現在は杉並区永福に移転)。家督は正室所生の四男(守影)が継いだ。
若いころより武芸を好み、(一心流)、(一宮流)、(信心流)、直心影流など心五流を修めて、玉影流を開いた。
参考文献
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- 『別冊歴史読本 幕末明治剣客剣豪総覧』新人物往来社
- 『日本人名大辞典』講談社