概要
駟馳山は鳥取砂丘の東の端、旧福部村と岩美町の境界にそびえ、日本海に面している。山頂までの登山道については、公式な情報はない。山の南麓には国道9号線駟馳山バイパスがあり、日本海に面した北側の山腹には中国自然歩道が設けられている。山の周囲には歴史上の旧跡や伝説も多い。
自然
全山が広葉樹林で覆われている。円錐形の山体に加え、東側の山腹には爆裂火口を思わせる崖があるなど、火山によく似た山容を見せるが火山ではない。新第三紀(鳥取層)群上部層の荒金火砕岩層と駟馳山砂岩泥岩層を基盤に、その上位を鮮新世に流出した流紋岩類が覆っている。火山を思わせる山容は、山の周囲に生じた断層と波食によって形成されたものである。山体を構成している流紋岩がどこから噴出したものかについては、現在のところ不明である。
駟馳山の基盤を覆っている流紋岩からは蛋白石を産する。
山頂は樹木が茂り、展望はあまりきかない[1]。山頂付近には「駒ヶ池」という小さな池があると伝えられている[2]。また、太平洋戦争中に作られたコンクリート造りの防空監視所が残っている[3]。
歴史
古来から周辺の人々の生活に関わっており、いくつかの歴史上の旧跡や伝説が残っている。
- 穴観音古墳(小畑1号墳)
- 名馬・生月
- 駟馳山峠の石畳道
- 駟馳山峠の千匹狼(伝説)[5]
- 駟馳山峠を根城にしている狼の群れがいた。ある時などは、駟馳山峠から十六本松(鳥取砂丘西端の集落)まで狼が行列になり、数え切れないほどだった。駟馳山峠を通行する人がいると、数知れない狼が後をつけてきた。峠を下りきるまでじっと後をつけてくるだけだが、後ろをふり返ると襲われた。
- ある商人が、峠越えの途中で狼に後をつけられ、難を逃れようと木に登ったところ、狼たちは群れではしごを作ってよじ登ってきた。商人が、先頭で登ってきた年老いた狼の頭を棍棒で殴りつけると、狼のはしごは崩れ落ち、狼たちは這々の体で逃げ去っていった。命拾いした商人が峠を下ると一軒の家があったので、一夜の宿を乞うた。商人が部屋に通されて一息ついたところ、ある部屋から苦しそうなうなり声がする。商人が家族に尋ねたところ、「うちの婆さんがはしごから落ちて頭を打ったのだ」との答え。不審に思った商人がその部屋をのぞくと、頭に大けがをした先ほどの年老いた狼が、布団にもぐりこんでうなり声を上げていた。