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馬越峠

馬越峠(まごせとうげ、まごしとうげ、まごえとうげ)は、日本に複数ある名。下記をはじめ、全国各所にある。


馬越峠
馬越峠(2015年3月)
所在地 三重県北牟婁郡紀北町尾鷲市
座標
北緯34度5分30.5秒 東経136度12分5.6秒 / 北緯34.091806度 東経136.201556度 / 34.091806; 136.201556座標: 北緯34度5分30.5秒 東経136度12分5.6秒 / 北緯34.091806度 東経136.201556度 / 34.091806; 136.201556
標高 325 m
山系 紀伊山地
通過路 熊野古道伊勢路
国道42号(尾鷲トンネル)
紀勢自動車道(馬越トンネル)
紀勢本線(尾鷲トンネル)
プロジェクト 地形
(テンプレートを表示)

馬越峠(まごせとうげ)は、三重県北牟婁郡紀北町尾鷲市の境をなす。標高は資料によって値が異なり、325m・340m・350mとされる[1]天狗倉山の西部を越えている[2]。残された峠の石畳道は約2km[3]。杉・桧が林立する森の中を幅1間半の古道が続く[4]。峠道の頂上には西国三十三所名所図会に描かれた茶屋の跡がある[2]

熊野古道伊勢路の一部で、苔むした石畳が続く峠の前後は、世界遺産に登録されている。伊勢路の中では2番目に観光客が多く、2012年は31,426人が訪れた[5]。峠道の勾配はやや急であり、観光でウォーキングに訪れる場合は筋肉痛を覚悟する必要がある[6]。地元住民にとっては歩き慣れた散歩道の感覚であり、文字通り朝飯前の散歩に通る人もいる[7]。要するに日ごろのトレーニングがものを言うので、歩く際には自分の体力と相談するのが良い。

歴史

開通時期は未詳であるが、元和9年1623年)・寛永12年(1635年)・正徳2年(1712年)とする説があり[1]紀州藩によって整備された[8]。ただし、現代も見ることのできる江戸時代に整備された石畳の下には、鎌倉時代から室町時代に敷かれた石畳が眠っている[8]。峠道は1888年(明治21年)に海岸沿いを通る車道が開通し、1916年(大正5年)には相賀トンネルと尾鷲トンネルが開通したことから利用が激減した[1]1934年(昭和9年)には紀勢東線も開通している[9]

石畳の保存状況が良かったことから、1973年(昭和48年)に尾鷲市指定文化財となる[1]平成16年台風第21号2004年)が襲来した際は国道42号が崩落により通行止めとなる中で馬越峠の石畳道はびくともせず、尾鷲市からの災害ボランティアが峠を徒歩で超えて海山町(現・紀北町)へ向かったというエピソードがある[8][10]2021年(令和3年)4月8日東京オリンピックの聖火リレーのコースの一部に選ばれ、峠の紀北町側(登り口から夜泣き地蔵前まで[11])を聖火ランナーが通った[12][11]。三重・奈良・和歌山の3県で熊野古道はゆとりを持って歩くことを取り決めているため、峠道では走らずに歩いて聖火をつないだ[11]

峠道の名所

紀北町側

  • 夜泣き地蔵 - 大正時代までは地蔵があった位置に天然石が置かれている[13]。本来は旅の安全を祈念するものであったが、いつしか子どもの夜泣き封じに効くという信仰が生まれた[13]
  • 石橋 - 谷川に架かる1枚岩でできた橋[13]
  • 馬越一里塚
  • 可涼園桃乙句碑 - 幕末の近江国の俳人による「夜は花の 上に音あり 山の水」という句の碑が立つ[2]

尾鷲市側

  • 桜地蔵 - 周囲に桜の木が多くあるためこの名前が付いた[13]。別名「水飲み地蔵」[13]
  • 馬越公園 - サクラの名所であるとともに、海側の風景を眺望できる[13]

交通

鉄道でのアクセスは、北側がJR紀勢本線相賀駅、南側が同線尾鷲駅である。紀北町側の峠道の入り口(登山口)には三重交通の路線バス「鷲毛」バス停が近くにある[13]。自動車で訪れる場合は付近に駐車場が少ないため、紀北町当局は峠の登山口から約500m離れた道の駅海山の利用を呼び掛けている[14]。道の駅海山から馬越峠登り口まで約600m、馬越峠登り口から途中にある林道との交差まで約1km、林道との交差から馬越峠まで約500mである[15]

馬越峠からは稜線伝いに、天狗倉山(標高522 m)及び(便石山)(びんしやま[16]、標高598.9 m)への遊歩道が開設されている[17]。東側にある天狗倉山までは、途中の天狗岩までが約600m、天狗岩から天狗岩山までが約300mである[15]。また、西側は約2.3km先に便石山の山頂と便石山登り口方面との分岐があり、そこから約150m上ると便石山がある[15]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1983, p. 977.
  2. ^ a b c 三重県政策広聴広報課 編 2000, p. 13.
  3. ^ 三重県政策広聴広報課 編 2000, p. 12.
  4. ^ 三重県政策広聴広報課 編 2000, pp. 12–13.
  5. ^ 宮崎正嗣"浜街道・花の窟「一人勝ち」 熊野古道伊勢路 昨年の観光客数 全体の3割9万1844人 マイカー利便性反映"中日新聞2013年5月5日付朝刊、三重版20ページ
  6. ^ 三重の法則研究委員会 編 2015, p. 44.
  7. ^ 三重の法則研究委員会 編 2015, p. 44-45.
  8. ^ a b c 「豪雨に負けぬ石畳 世界遺産・熊野古道馬越峠」中日新聞2018年2月13日付朝刊、三重総合13ページ
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 1983, p. 978.
  10. ^ 国方萌乃「雨のまち 尾鷲 脅威と恵み 再発見 記録や映像で紹介 来月まで」朝日新聞2015年10月22日付朝刊、三重版31ページ
  11. ^ a b c “ヒノキ香る森、聖火つなぐ 熊野古道”. 中日新聞 (2021年4月9日). 2021年4月10日閲覧。
  12. ^ “五輪聖火リレー 三重県2日目 磯野貴理子さんが熊野市に到着”. 日本放送協会 (2021年4月8日). 2021年4月10日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g 三重県地域振興課 1999, p. 9.
  14. ^ 宮崎正嗣「紀北の観光をPR 町職員ら 古道の登山口で」中日新聞2013年4月30日付朝刊、広域三重志摩牟婁16ページ
  15. ^ a b c 銚子川エリア トレッキングMAP 紀北町役場商工観光課 2022年9月6日閲覧。
  16. ^ 徳久 (1992)、447頁
  17. ^ 吉住 (1996)、102-103頁

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、1983年6月8日、1643頁。 (全国書誌番号):(83035644)
  • 小倉肇 著、三重県政策広聴広報課 編『伊勢から熊野へ 再生を願う巡礼の道 東熊野街道』三重県政策広聴広報課〈県政だより みえ「三重再発見」総集編〉、2000年3月、25頁。 (全国書誌番号):(20126404)
  • 徳久球雄 編『コンサイス日本山名辞典』(修訂版)三省堂、1992年10月。ISBN (4-385-15403-1)。 
  • 三重の法則研究委員会 編『三重の法則』泰文堂〈リンダパブリッシャーズの本〉、2015年3月1日、174頁。ISBN (978-4-8030-0680-3)。 
  • 『みんなであるこう 熊野古道』三重県地域振興課、1999年6月、17頁。 
  • 吉住友一、岩出好晃『改訂版 三重県の山』山と溪谷社〈分県登山ガイド〉、1996年12月1日。ISBN (4635021831)。 

関連項目

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