馬事公苑(ばじこうえん)は、東京都世田谷区上用賀にある公園。日本中央競馬会(JRA)が運営する馬事普及の拠点である。
馬事公苑 | |
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所在地 | |
前身 | 騎手養成・1964年東京オリンピック馬場馬術競技会場 |
開園 | 1940年(昭和15年)9月29日 |
運営者 | JRA日本中央競馬会 |
設備・遊具 | 馬場・馬術 |
駐車場 | あり |
公式サイト | http://jra.jp/facilities/bajikouen/ |
概要
馬事公苑は、1940年東京オリンピックに向けて日本の馬術選手を育成する目的で開設された[1]。同大会は日中戦争の影響で中止となったが、第二次世界大戦後の1964年東京オリンピックと2020年東京オリンピックでは馬場馬術競技の会場となった。
現在は、馬事関係の多方面の利用と馬事思想の普及を図る公共施設として馬術競技場、馬匹博覧会等の会場、競技馬の調教場、乗馬趣味の涵養のための乗馬機会の提供場所、競馬騎手講習会場に利用されるものとして設置されている[2]。かつては国営競馬、日本中央競馬会(JRA)の騎手養成所が置かれており、1982年に競馬学校が開設されるまでは中央競馬の騎手の養成が行われていた。
また、JRA馬事公苑馬術大会のような統合的な競技会のほか、東京馬術大会などの馬場馬術競技、東京障害飛越選手権などの障害馬術競技、ホーストライアルなどの総合馬術競技、近代五種日本選手権大会馬術競技といった各種専門馬術競技会が定期的に開催されており、関東における主要な馬術競技会場となっている。一部の競技会では、競技馬の貸与も行っているほか、隣接している東京農業大学の馬術部の活動拠点として使用されている。
さらに愛馬の日(秋分の日)では流鏑馬などの伝統馬事芸能や(横鞍)や軽乗演技の供覧、馬に親しむ日(競技会などのない第3日曜日、年8回程度)では体験乗馬や馬車運行、ホースショー(5月3日 - 5日)ではJRA馬事公苑馬術大会としての馬場、障害飛越競技に加えて警視庁第三方面交通機動隊騎馬隊やアンダルシアン種馬演技の供覧といった馬事普及の活動を行っている。
2020年夏季オリンピック・パラリンピックの競技会場の一つに選定され、馬場馬術競技および障害馬術競技ならびにパラ・ドレッサージュ(障害者馬場馬術)競技が行われることとなり、2016年12月31日をもって会場整備に伴う工事のため休苑となり[3]、2017年1月末には栃木県宇都宮市に事業所を移転、「JRA馬事公苑宇都宮事業所」として事業を行っており、2023年11月頃に改めて世田谷区に戻りリニューアルオープンする予定である[4][5]。
歴史
- 1934年(昭和9年) 当時の帝国競馬協会が東京市世田谷区用賀(現在の世田谷区上用賀)の土地約5万坪の土地を30万円で購入。
- 1939年(昭和14年)3月29日 - 建設着工。
- 1940年(昭和15年)9月29日 - 開苑。
- 1942年(昭和17年) - 用賀に住んでいた東条英機首相(当時)が、馬に乗って来苑し視察を行った[6]。
- 1944年(昭和19年) - 名称を「修練場」と改める。
- 1948年(昭和23年) - 国営競馬の開始にともない「農林省畜産局競馬部東京競馬事務所」に改称、「騎手養成所」を復活。
- 1950年(昭和25年) - 第1回長期騎手講習(競馬学校騎手課程の前身)開始。
- 1953年(昭和28年) - 馬事公苑近くの旧陸軍衛生材料廠跡地に米軍倉庫(SETAGAYA WAREHOUSES)が建設された[7]。
- 1954年(昭和29年) - 9月16日 日本中央競馬会の設立により同会の管轄下に置かれ、再び「馬事公苑」の名になる。
- 1964年(昭和39年) - 第18回東京オリンピックの馬術競技開催。
- 1982年(昭和57年)3月23日 - 競馬学校開校、騎手養成業務のすべてを競馬学校に移管。
- 1991年(平成3年) - スパニッシュ・ライディング・スクール(スペイン王立乗馬学校、オーストリア)来日公演。明仁天皇・美智子皇后行幸啓
- 1998年(平成10年) - カドルノワール・ド・ソミュール(国立乗馬学校、フランス)来日公演。明仁天皇・美智子皇后行幸啓
- 2016年(平成28年) - 2020年夏季オリンピック・パラリンピックに向けた会場整備に伴う工事のため、同年12月31日をもって休苑。
- 2017年(平成29年) - 栃木県宇都宮市(旧・競走馬総合研究所本所)に移転、名称を「JRA馬事公苑宇都宮事業所」と改める。
- 2021年(令和3年) - 2020年夏季オリンピック・パラリンピックの馬術競技開催。
- 2023年(令和5年)11月頃 - 世田谷区に戻り、リニューアルオープンの予定。
三つの苑訓
- 「騎道作興」(きどうさっこう)至誠以って騎道作興すべし
- 「百練自得」(ひゃくれんじとく)努力以って百練自得すべし
- 「人馬一如」(じんばいちにょ)和協以って人馬一如たるべし[2]
施設
- 厩舎:本厩舎4棟(156頭収容)、外来馬用厩舎(149頭収容)、検疫厩舎(6頭収容)
- インドアアリーナ:覆(屋内)馬場、95m×42m、スタンド(2,300人収容)、道路をはさんだ立地で地下通路で結ばれている
- メインアリーナ:砂馬場、123m×62m、スタンド(760人収容)
- グラスアリーナ:芝馬場、112m×67m、スタンド(1,746人収容)
- 走路:砂、1周1,100m
- ドレッサージュアリーナ:砂馬場
- 耐久競技(総合馬術競技)用走路:固定障害(飛び込み水濠など)
- 放牧場
- 庭園:日本庭園(ひょうたん池)、児童遊園
馬事公苑出身の主な騎手
長期騎手課程
- 4期生 山本正司 他
- 5期生 増沢末夫、森安重勝、矢野進、古賀一隆 他
- 7期生 池江泰郎、高橋成忠、(吉岡八郎)、福永甲、野元昭、徳吉一己 他
- 10期生 郷原洋行、中島啓之、中神輝一郎、梅内忍、清水出美 他
- 11期生 大崎昭一、鹿戸明、安田伊佐夫、久保敏文、久保田秀次郎、笹倉武久、簗田善則、領家政蔵 他
- 12期生 嶋田功、菅原泰夫、松田博資 他
- 14期生 安田富男、平井雄二、小島太、田島良保、池上昌弘、目野哲也 他
- 15期生 岡部幸雄、柴田政人、福永洋一、伊藤正徳、武永祥、星野信幸 他
- 17期生 上野清章、西浦勝一、田村正光、内田国夫、須貝四郎、楠孝志、中島敏文 他
- 18期生 東信二、小島貞博、吉沢宗一 他
- 19期生 南井克巳、中野栄治、田所秀孝 他
- 21期生 田島信行 他
- 22期生 加藤和宏、根本康広、佐々木晶三、池添兼雄、木藤隆行、小西一男 他
- 25期生 安藤賢一、田原成貴 他
- 26期生 栗田伸一、安達昭夫 他
- 27期生 本田優、大西直宏、丸山勝秀 他
- 31期生 (松本達也)、関口睦介、天間昭一 他
- 32期生(最終年) 中舘英二、出津孝一、鹿戸雄一、木幡初広、谷中公一、坂本勝美 他
短期騎手課程
- 4期生 清水英次 他
周辺
脚注
- ^ Setagaya100 2020, p. 84.
- ^ a b 武市銀治郎『富国強馬 - ウマからみた近代日本』講談社〈講談社選書メチエ〉、1999年、第5章3
- ^ JRA 馬事公苑サイト/JRA馬事公苑からのお知らせ(2016/2/5) 2016年9月25日閲覧
- ^ 日本中央競馬会、2016年10月30日閲覧
- ^ 日本中央競馬会、2016年12月1日閲覧
- ^ Setagaya100 2020, p. 86.
- ^ Setagaya100 2020, p. 80.
参考文献
- 『写真が語る 世田谷区の100年』いき出版、2020年1月31日。ISBN (978-4-86672-044-9)。
関連項目
外部リンク
- 公式サイト
座標: 北緯35度38分12.5秒 東経139度38分2.2秒 / 北緯35.636806度 東経139.633944度