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饗庭氏(あえばし/あいばし)は、日本の氏族。源頼光を祖とする摂津源氏の流れを汲む土岐氏(美濃源氏)の支流。
土岐光行の子・(饗庭光俊)を祖とする。相場氏や相羽氏と同音であり、これに通じている。
饗庭姓の由来
- 由来
- 神を招きもてなす聖地に由来している。
- ※”アエバ”→神に捧げ物を奉る場所を示し、饗庭の”ば”→古代は祭を行う広場を意味し、中世以降は宮を建てて神の鎮座地を意味するようになった。
- 詳細
- 相応と願い事が終わると神が山に帰ると場は再び平地に戻る。
- しかし、しばしば神を招くので、庭をきれいに掃き清められた空閑地とし、一種の祭場の役目も果たすようになった。
- ちなみに、場には、柱や神木などを配置した。
- ”会”、”合”、”相”→「神に会う」を意味する。
- 読み方
- 正訓 アエバ(アヘバ)、異訓 アイバ →現在では地名も読み方も”アイバ”とする方が多数を占めている。
- ※”アヘバ”→大変古い大和言葉。
- 美濃国大野郡饗庭、近江国高島郡饗場(相場)を本貫の地とする流れがあらわれ、相羽は饗庭、饗場、相場などに通じ用いられた。
- 近江の饗庭(相羽、相場)も光俊の子孫であるという。
- 『興地志略』に近江の相場氏は、源頼朝の近臣(相場三郎)、美少年六千騎を集めた花一揆を率いた足利尊氏の側近饗庭命鶴丸がこの地を領したことが比叡山延暦寺の旧記に記載されている。
以上のことなどから、鎌倉より室町に至る間、この地の領主の氏族であったことがうかがえる。
長享元年(1487年)常徳院(足利義尚)江州動座着到に遠州(饗庭太郎)とあり、遠江国にも饗庭氏が存在していたことを知る。相羽という人が近代まで静岡県森町にいて、「今川義元の家老であったが桶狭間の戦いで敗れ、森町に逃げてきた」と口伝いにつたわっている。
また、饗庭命鶴丸は三河の人であるといい、近世、徳川幕府御家人に相場氏がある。恐らく三河、或いは甲斐の饗庭氏より出て幕臣となったものと思われる。
関連名所
- 上相場・下相場 饗庭神社 饗庭御厨
- 饗庭郷御厨新田
- 滋賀県高島市新旭町旭
- 饗庭神社
- 滋賀県甲賀市甲南町竜法師/龍法師
- 饗庭城(饗庭城跡/饗庭城/合羽城)
- (饗庭河内守)
- 愛知県西尾市吉良町饗庭
- 三河国幡豆郡相場(饗庭)村
- 饗庭神社 三河国饗庭御厨
- 饗庭城
- 饗庭氏直(饗庭命鶴丸)
- 岐阜県揖斐郡大野町相羽
- 相羽城
- 美濃国大野郡相羽庄
- (饗庭光俊)
脚注
参考文献・資料
- 『足利市立教育研究所』[要文献特定詳細情報]
- 日本家系家紋研究所 著、新井康友 編『相場相羽一族』日本家系家紋研究所、1988年4月。(全国書誌番号):(88039455)。
- 資料
- 『寛政重修諸家譜』
- 『断家譜』
- 『新肥後細川藩侍帳』