来歴・人物
丹原高等学校から1967年ドラフト12位で読売ジャイアンツに入団。ドラフト指名時伊予銀行へ就職が内定していたが、「入りたくとも誰もが巨人に入団できるとは限らない」と入団を決意。
重いストレートと落差のあるカーブが武器。
1年目はイースタンリーグでも登板が無かったが、秋の教育リーグで1回1/3を3奪三振と好投。2年目は肩を故障し登板機会が無く、秋の教育リーグ大洋戦で先発するも連打され敗戦投手となる。一軍出場なく1969年シーズン終了後解雇され退団。
退団後は燃料・ガス・水道工事販売業。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 52 (1968年 - 1969年)
出典
- 『江川になれなかった男たち-ドラフト外伝』・三一書房・岡邦行1983年、55~74ページ