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生涯
安永5年(1776年)、第9代藩主・青木一貫の四男として誕生した。生母が正室かつ先代・青木一新[2]の娘であったため嫡子とされた。(佐野健行)・(設楽貞喬)・(米津政佑)の3人の異母兄は、(佐野義行)・(設楽貞猶)・(米津政従)にそれぞれ養子に出された[3]。
天明6年(1786年)8月21日、一貫の死去により家督を相続する。寛政5年(1793年)11月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。同年12月16日、従五位下・出羽守に叙任する。後に甲斐守に改める。寛政年間に藩校・直方堂を創設している。文政4年(1821年)7月21日、隠居して長男の重龍に家督を譲った。以後、不老斎と号した。