青山 秀三郎(あおやま ひでさぶろう、 1894年3月18日 - 1969年8月4日 )は、日本の鉱山学者[1]。 東京大学名誉教授・工学博士[2]。
人物
東京都出身。東京帝大工科大学採鉱冶金科を大正7年に卒業。ドイツやフランス、アメリカなどに留学し、その後東京帝国大学の教授・工学部長を務める。 学術研究会議会員、文部省視学委員、科学技術審議会委員、資源庁炭田探査審議会委員、地下資源開発審議会委員、文部省大学学術局大学設置審議員、防衛庁技術研究所長などを歴任した。著名な業績として、 ボーリング技術の導入などがある。墓は、寛永寺谷中墓地にある[3]。
脚注
- ^ 『(青山秀三郎)』 - コトバンク
- ^ 『(青山 秀三郎)』 - コトバンク
- ^ “青山秀三郎(あおやまひでさぶろう/しゅうさぶろう)”. ya-na-ka.sakura.ne.jp. 2021年1月5日閲覧。