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露助

露助(ろすけ)とは、日本語におけるロシア人またはロシアの(蔑称)。

なお、歴史上、ロシアに侵略されロシアに組み入れられた地域にいた民族は多数あるものの、この言葉のニュアンスでは、それらの民族は含めず、単にスラヴ系ロシア人を嫌悪して使用する人がほとんどである。

概要

日本ではロシア人を「魯西亜人(露西亜人)」「おろしや人」「ヲロシア人」などと呼んでいた。また、18世紀、蝦夷に来航したロシア人のことを「赤人」や「赤蝦夷」と呼んでいた(例:赤蝦夷風説考)。これらと同じく「露助」もロシア語形容詞である「ルースキー(русский: Russky)」に由来し[1]、ロシア語圏で「ロシアの」を意味する言葉が日本語化されたもので、元は特に差別的な言葉ではなかった。

しかし、フヴォストフ事件ゴローニン事件ロシア軍艦対馬占領事件三国干渉日露戦争尼港事件ノモンハン事件ソ連対日参戦三船殉難事件シベリア抑留北方領土問題などを通して、ロシアソ連邦との軋轢は深まる一方であった。

平民におけるロシアへの敵愾心は江戸時代から存在しており、例えば小林一茶は1804年(享和4年)のニコライ・レザノフのロシア船長崎滞泊に対し、師走(旧暦12月)に以下の俳句を書いている[2][3]

十日 晴

神国の松をいとなめおろしや舟
春風の国にあやかれおろしや船

十一日 晴 月代
門の松おろしや夷の魂消べし
日本の年がおしいかおろしや人

— 小林一茶

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ プログレッシブ英和中辞典(第4版). “Russky”. コトバンク. 2020年7月10日閲覧。
  2. ^ 維新前後の日本とロシア 平岡雅英 1934年
  3. ^ 文化句帖: 俳諧寺一茶遺稿 信濃教育会 1928年

参考文献

  • 小山内薫「国立国会図書館デジタルコレクション 露助になること」『演出者の手記』原始社、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240645/37 国立国会図書館デジタルコレクション 

関連項目

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