雷門 小福(かみなりもん こふく)は落語家の名前。
- 雷門小福 - 後∶橘家米蔵
本名 | |
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生年月日 | 1934年4月21日 |
没年月日 | 2012年4月7日(77歳没) |
出身地 | 日本・愛知県名古屋市 |
師匠 | 初代三遊亭小圓歌 初代雷門福助 |
名跡 | 1. 島一声(1952年 - 1954年) 2. 雷門小福(1954年 - 2012年) |
活動期間 | 1952年 - 2012年 |
所属 | フリー |
雷門 小福(かみなりもん こふく、1934年4月21日 - 2012年4月7日)は、愛知県名古屋市生まれの落語家である。本名:
落語の世界に入って以来、ずっと地元名古屋を拠点としており、東京・大阪の業界団体には入らず、自前の芸能事務所を立ち上げ、独自の艶笑噺や人情噺を得意として、名古屋の大須演芸場を定席とし、長年活躍していた。
名古屋での活躍や本人の経歴については演芸研究家である瀧口雅仁による『噺家根問』に、晩年の活動・活躍については弟子の登龍亭獅篭(雷門獅篭)が大須演芸場をテーマにしている漫画・著作類に詳しい。
経歴
- 1952年2月:初代三遊亭小圓歌[注釈 1]門下入門。島 一声(しま いっせい)を名乗る。
- 1954年2月:関東大震災を契機に名古屋へ移り住んでいた初代雷門福助門下に移籍。雷門小福を襲名。
- 1960年3月:芸能事務所・小福プロを設立。以降名古屋を中心に活動。
- 2003年8月:初めての弟子として雷門獅篭、雷門幸福(いずれも元立川談志門下からの移籍)が入門。
- 2004年11月13日:襲名50周年。小福門下による第一回名古屋雷門祭りを大須演芸場で開催。
- 2006年1月:雷門福三が入門。
- 2007年6月:女性の弟子として雷門小ゆびが入門するが、すぐに廃業。
- 2012年4月7日:咽頭がんのため死去[1]。77歳没。
弟子
なお、小福の没後に小ゆび以外の弟子はいずれも亭号を「登龍亭」に改めた。さらに獅篭に3名[注釈 2]、幸福に1名[注釈 3]の弟子(小福にとっては孫弟子)がそれぞれ入ったことで、名古屋の落語家は昭和初期以降で最多の人数となった[2]。