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阿部 知代(あべ ちよ、1963年7月23日[1] - )は、フジテレビの元アナウンサーで報道局の社員。俳人。群馬県桐生市出身[2]。身長168cm。
来歴・人物
桐生市立北小学校、桐生市立北中学校、群馬県立桐生女子高等学校、上智大学文学部(新聞学科)卒業[1][2][3]。大学の同じクラスには元テレビ朝日アナウンサーの雪野智世、雑誌『25ans』編集長の十河洋美、雑誌『STORY』編集長の山本由樹がいる(『STORY』に林真理子が連載していた小説『私のこと、好きだった?』は山本と阿部がモデルである)。
入社2年目から23年間『テレビ美術館』『artLover』と美術番組を担当していたため、自他共に認める日本一現代美術を愛する、かつ詳しい女性アナウンサーである。アーティストからの信頼も厚い(大竹伸朗も阿部アナのインタビューは喜んで受けるという)。
1991年から1992年までFNNパリ支局に勤務しており、フランス語・英語も話せる。
1993年 - 2006年という長期間、断続的ではあるが週末のニュースを担当した。
2005年にアナウンス室デスク、2007年よりアナウンス室デスク担当部長に昇格。
2012年8月からFCIニューヨーク本社に出向となった[4]。 2015年夏の人事異動で報道局マルチデバイスニュースセンターシニアコメンテーターへ異動。現在は報道局報道センターマルチメディアニュース制作部でデスク兼キャスターを務める[5]。
シャンパン、ワイン、日本酒が好きでワインコーディネーターと唎酒師の資格を保持。
子どもの頃から古典芸能に親しみ、ニューヨークの平成中村座をはじめ歌舞伎、文楽、落語などに着物で出かけることが知られている。落語家・立川談春の大ファンで地方公演にも出かける「追っかけ」である。
俳人としては、榎本了壱、萩原朔美、白石冬美、サエキけんぞう、坂東彌十郎、伊藤キム等が同人の「かいぶつ句会」、西東三鬼を師系とする「面」に所属し、俳句コンテストでの入賞、また歳時記、俳句誌などに句が掲載されている。
エピソード
この節は言葉を濁した曖昧な記述になっています。 |
- 元々、他局に比して女性アナウンサーの立場が不利であったフジテレビだが、特に報道では1978年に阿部の11期先輩[6]の田丸美寿々[7]が初めてニュース番組の司会に抜擢されたものの、1980年代になっても女性アナウンサーが一人でニュースを読む事はなく、『FNNレインボー発』等のフジテレビの定時ニュースは長年にわたり男性アナウンサー限定の仕事であった。現在のように女性も担当するようになったのは、1990年代初頭に阿部が報道上層部に直訴したことによる。そのとき女子アナとして初めて1ショットのニュース(週末の『産経テレニュースFNN』)にキャスティングされ、これが功を奏して、翌1994年には安藤優子がメインの『ニュースJAPAN』もスタートした。
- 趣味は写真で『なるほど!ザ・ワールド』リポーター時代、常に斜めがけしていた黒いバッグにはカメラが入っていた。腕前はプロ級で、暗室でのプリントもする。雑誌に写真エッセイを連載したり、『テレビ美術館』取材時に撮影したアーティストのポートレイトが展覧会カタログに採用されたりしたこともある。朗読舞台『ラヴシーン』のパンフレットのスナップ写真と公式サイト画像も阿部の撮影で、愛機はライカ(ラヴシーンパンフレットより)。
- 大学在学中、4年生の時にアルバイトでNHK総合の科学情報番組『ウルトラアイ』のアシスタントを1985年4月から務めていた[2]。
- グループ展『さよなら ポラロイド』に写真を出品、この展覧会は朝日新聞(2008年10月24日東京版)で大きく紹介され、阿部の写真が掲載された。
- 『森田一義アワー 笑っていいとも!』のコーナー・「テレフォンショッキング」の初代テレフォンアナウンサーの一人。1987年10月~1991年9月まで火曜日→月曜日を毎週務めた。その後、2010年10月6日(水曜日)に約19年ぶりに単発扱いで担当した。2011年4月6日(水曜日)からの半年間、再び水曜テレフォンアナを務め、2012年4月現在、第2期を担当する唯一のアナウンサーであった。
- ドラマ『古畑任三郎』の「忙しすぎた男」にカメオ出演している。
- CSの日本映画専門チャンネルで『メモリーズ』(旧『私が好きな日本映画』)の司会を担当。これがきっかけで昭和30 - 40年代の映画に詳しくなった[要出典]。
- 河東節三味線人間国宝・山彦千子に師事し、「山彦ちよ」名で歌舞伎座や新橋演舞場の『助六由縁江戸桜』に河東節十寸見会連中の一員として出演している。
過去の担当番組
レギュラー出演
- 報道番組
- ホウドウキョク24
- ニュースのキモ! Afternoon(日曜日担当)
- (ホウドウキョク×FLAG9)(金曜パートナー、2016年10月7日 - 2017年3月31日)
- FLAG7(金曜パートナー、2017年4月7日 - 6月30日)
- Live Picks(木曜日アシスタント、2017年7月6日 - 12月21日)
期間 | 月曜日 | 火・水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
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1986.10.1 | 1987.3.31 | FNNニュース工場一本勝負!1 | (なし) | ||||
1991.10.1 | 1992.9.30 | FNN World Uplink2 | |||||
1993.4.3 | 1996.3.30 | (なし) | 産経テレニュースFNN(朝)1 FNNスピーク1・3 | 産経テレニュースFNN(朝、昼)1 | |||
1996.4.6 | 1997.9.28 | 産経テレニュースFNN(朝)1 | |||||
1997.10.5 | 1998.3.29 | (なし) | |||||
1998.3.30 | 1999.3.31 | FNNニュース3:501 | (なし) | ||||
1999.4.4 | 2000.9.24 | (なし) | |||||
2002.10.11 | 2004.3.26 | (なし) | NEWSレインボー発1・5 | (なし) | |||
2004.4.1 | 2005.3.25 | NEWSレインボー発4・5 | |||||
2005.3.28 | 2005.6.26 | 6 | (なし) | ||||
2005.6.27 | 2005.10.2 | FNNニュース(深夜)1 | |||||
2005.10.6 | 2005.12.25 | (なし) | レインボー発1 | (なし) | |||
2006.1.5 | 2006.10.1 | FNNレインボー発・あすの天気1 FNNニュース(深夜)1 | |||||
2006.10.5 | 2007.9.27 | (なし) | |||||
2007.10.4 | 2008.9.26 | ハピふる!7 | (なし) | ||||
2008.10.2 | 2010.3.25 | (なし) | |||||
2010.4.2 | 2010.10.1 | (なし) | BSフジLIVE プライムニュース(BSフジ)8 FNNレインボー発・あすの天気1 ニュースJAPAN9 | (なし) | |||
2010.10.6 | 2011.9.29 | (なし) | BSフジLIVE プライムニュース(BSフジ)8 FNNレインボー発・あすの天気1 ニュースJAPAN9 | (なし) | |||
2011.10.3 | 2012.3.29 | レインボー発1 | (なし) | BSフジLIVE プライムニュース(BSフジ)8 ニュースJAPAN9 | |||
2012.4.1 | 2012.6.24 | BSフジLIVE プライムニュース(BSフジ)8 ニュースJAPAN9 | (なし) | FNNレインボー発・あすの天気10 | |||
2012.8.22 | 2015.3.28 | めざにゅ〜11 めざましテレビ11 | めざましどようび11 | (なし) | |||
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- バラエティ・教養番組
- なるほど!ザ・ワールド(リポーター)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(1987年10月 - 1991年9月、火曜日→月曜日テレフォンアナウンサー、2011年4月 - 9月、水曜日テレフォンアナウンサー )
- artLover(日曜夕方の美術番組)(以前はめざにゅ〜に内包されていた番組。めざにゅ〜が4時29分から始まる日は除く)
- テレビ美術館(1987年4月 - 1991年9月、1992年10月 - 2005年3月。「artLover」の前身にあたる美術番組)
- カワズ君の検索生活(司会)
- ハンサムキッチン(CSフジテレビTWO/2010年 - 2012年)
- メモリーズ(CS日本映画専門チャンネル)
- (まる生プレゼンツ 夜のチヨパン!)(CSフジテレビONE/月1回)
- (ちよ散歩)(CSフジテレビワンツーネクスト)
- ナレーション
- あつあつイタリアーナ(ナレーション)
- バニラ気分!・まごまご嵐(ナレーション)
- スワローズキッズアカデミー(ナレーション)
不定期出演など
- ザ・ベストハウス123(本上まなみの出産のための代理)
- 熱血!平成教育学院(2007年2月25日「女子アナスペシャル」)
- とんねるずのみなさんのおかげでした(不定期)
- アナ★バン!(不定期)
- BSフジNEWS(月曜日、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言発令時)
舞台
映画
同期
脚注
- ^ a b c 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、46頁。ISBN (978-4-8169-1852-0)。
- ^ a b c 週刊TVガイド 1985年8月9日号 90頁「出番です」コーナー
- ^ “ぐるっと東日本・母校をたずねる:群馬県立桐生高/3 元フジテレビアナ・現報道局 阿部知代さん /東京”. 毎日新聞. 2022年10月25日閲覧。
- ^ 日刊合同通信(マスコミ研究会)2012年7月20日付「フジ、FCI出向人事・阿部アナNY本社」より
- ^ https://news.yahoo.co.jp/articles/28604cc3a8db7a563be63294c87316cbdae47533?page=1
- ^ 田丸が入社した1975年当時のフジテレビの女性アナウンサーは全員が契約社員で役職も報道局解説室付リポーターであり、女性が正社員に昇格かつ報道局解説室付リポーターがアナウンサーと正式に認められたのは1981年であったので、局アナとしては正確には阿部の5期先輩である。
- ^ 正確には司会者の逸見政孝のアシスタントであった。また、田丸は阿部の入社する3年前(1983年)にフジテレビを退社しており、阿部とは同僚だった時期はない。
- ^ アナルームニュース2001年10月22日号 - フジテレビ
外部リンク
- 阿部知代 (@abechiyo_Ho) - Twitter