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(かま)は草や芝を刈り取るのに用いる農具の一種[1]。植物の切断のための湾曲した刃もしくは歯を持っており、引いて刈るように内側に刃が付いている。

大鎌 (scythe) と小鎌 (sickle)

用途により様々な形態のものがある。英語では、鎌の呼び名は大きさにより異なり、立ちながら牧草や刈り用に使う大型の物をサイズ (scythe)、しゃがんだり中腰で草刈りや収穫などで用いる小型のものをシックル(sickle)と呼び分ける。日本語では西洋のサイズを大鎌と訳す場合があるものの、形態の大小にかかわらず「鎌」の単語を当て、文字による両者の厳格な区別はない。

歴史

 
大鎌を使用する農民。腰にあるのは砥石で、切れ味が悪くなったらすぐに研げるようにしていた。

鎌は農耕に関係する考古遺物として出土した。エルサレム周辺では長さが10-20 cmの直線状で刃が大量に付いた鎌が発見され、亜旧石器時代(紀元前18000-8000年頃)の物とされている[2]。使用方法としては、ノコギリのように切断していたと考えられている。

大鎌(薙鎌)は鉄器時代以降に登場したものである。古代オリエント世界においては紀元前3500年頃のシュメールの農民が用いたとされる粘土を焼いた鎌が現存し、紀元前1298年 - 1235年頃の壁画には鎌を持つ人が描かれている。

日本では農耕が開始された弥生時代石包丁とともに手鎌が使用され、各地の遺跡から石製や金属製の手鎌が出土している。

分類

形での分類

 
左:ナタ、中央:月鎌、右:ねじり鎌と三角ホー

既述のように、英語ではシックルとサイズを区別する。この区別は鎌がヨーロッパに入ってきた当時には既にあったと考えられている。サイズは牧草の取り入れの道具として発達し、のちに麦の収穫にも使用されるようになった。

稲作文化圏における鎌の刃は直線的であることが多いが、小麦作地域では湾曲した刃を持つのが基本である。これはそれぞれの穀物の栽培・収穫方法に起因する。米のように密集して植えることをしない麦の収穫においては、鎌の刃自体を使ってかきよせるようにする形状が好まれたことが理由の一つと考えられる。

刃での分類

日本ではサイズとシックルに相当する区別はないが、刃部分の性質や、作業用途によって分類できる。

刃鎌(はがま)

 
草刈鎌

刃部が滑らかなブレードになっているもの。柄と刃が直角ないし鋭角になっているものが多い。おおむね三種類に分けられるが、刃部が薄いものから順に並べる。

  • 草刈鎌:ホームセンターなどには一番多くおいてある、もっとも一般的な鎌。林業用に草刈鎌よりも刃を厚くして細い木や枝も切り払うことができるようにしたものを造林鎌という[3]
  • 柴刈鎌:雑木の小枝を切り、囲炉裏(いろり)にくべる柴や、粗朶(そだ)を刈るための鎌。草刈鎌より刃が厚手で、普通は柄も長めになる。
  • 木刈鎌:山林で邪魔になる潅木(かんぼく)や、材木の節をなくす枝打ちをする為の鎌。(なた)、山刀(やまがたな)の柄を直角につけて、長くしたもの[要出典]

鋸鎌(のこぎりがま)

刃部がと同様の歯になっているもの。基本的に柄と刃は鈍角になっている。強い繊維を持つ植物の除草作業などに適する。農家では稲刈りに使うので「稲刈り鎌」と言っている。 

  • 縄切り鎌: 鋸鎌の一種で冬囲いなどに用いる荒縄を切断できる。

象徴としての鎌

ソ連の国旗に、農民の象徴として、工場労働者の象徴のハンマーと組み合わせたシンボル「鎌と槌」が使われている。

オーストリアの紋章、インドの政党にも用いられている。日本の家紋では「一つ鎌、入違い鎌、四つ鎌角、四つ鎌車」等で図案化した鎌が用いられている。

鎌(特に大鎌)は死神の象徴とされる。これには「生命を刈り取るもの」のイメージに由来するという説や、東欧の風習に由来するという。それは、土葬した死者が蘇って来ないように、首の前に鎌を添えて棺に入れたもので、こうすると蘇って立ち上がろうとしたときに首が切れてしまい、現世に立ち戻ることができないとされた。また、元々はローマ神話農耕神の持ち物(アトリビュート)であったのが時代を経て現れたのだとも言う。

長野県佐久市下平尾の柴宮神社では、鎌倉時代元寇の時に蒙古を「切り払う象徴」として巨大な鎌を御神体とした[4]

武器としての鎌

 
1月蜂起における、鎌で武装したポーランドの農民兵(コスィニェシ、ポーランド語で鎌を持つ者の意)。

ギリシア神話においては、月鎌であるハルパークロノスヘルメースペルセウスの武器である。また大鎌は死神の武器として有名。

鎌は農民の道具として不可欠であり支配者が所持を禁ずることが出来ないため、洋の東西を問わず農民の反乱・一揆などで刀剣を持たない農民が臨時の武器として用いた。その直線的でない形状は体制側の戦士が白兵戦用に持つを受けるのに便利であると考え、急場の武器としてではなく日常からそれを使いこなすための訓練を行なう者も現れた。そうした武器として「二丁鎌術」などがあり、またさらに生まれた変化形として鎖鎌鎖鎌術)も生まれた。

ヨーロッパの武器としての鎌は、堅固な鎧の隙間を突くため、また盾の上面を超えて刺突を加えるために、50cmから1mの柄と直角に、10cmほどの直刃を取り付けた。大鎌では、 16世紀の武術・武器マニアであったパウルス・ヘクトル・マイアーが著した兵法書『Arte De Athletica』等に以下の戦闘例が残っている。

だが、実戦では役に立たないとする意見もある。武器としての鎌はその形状から突く、切る、と言った攻撃が薙鎌などの一部の長柄以外出来ないこと、薙ぐ場合も手前に引く動作が必要となるために、手の届く距離の半分程度しか有効間合いにならない、突き立てるように使う場合も射程が致命的に短いことが欠点としてあげられる。日常の道具として生まれた鎌では戦闘のためだけに特化された剣や槍には勝てないとされる。

忍者が城壁を登ったりする時鎌に似た道具を使うために鎌=忍者のイメージもあるが、実際の忍者が鎌を振り回して戦うことはない。

武器としての沖縄の鎌
武器の所持が禁止された琉球で発展した武術である。鎌術という。琉球古武術では刃の付いた鎌は畑を耕すと同様、武具として位置付けられ、「当山の二丁鎌」、「鐘川の二丁鎌(小)」、「鐘川の二丁鎌(大)」の3種類があり、日本本土では琉球古武術保存振興会、沖縄では琉球古武道保存振興会、琉球古武道保存会により保存されている。

脚注

  1. ^ 意匠分類定義カード(K3) 特許庁
  2. ^ Unger-Hamilton, Romana (July 1985). “Microscopic Striations on Flint Sickle-Blades as an Indication of Plant Cultivation: Preliminary Results”. World Archaeology 17 (1): 121–6. doi:10.1080/00438243.1985.9979955. 
  3. ^ “山で働く”. 熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト. 2019年11月2日閲覧。
  4. ^ 『北佐久口碑伝説集南佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会 全434中 29P 昭和53年11月15日発行

参考文献

  • 外間哲弘; 金城政和『沖縄の古武道具、鍛錬道具』琉球新報社出版、1989年3月2日。(全国書誌番号):(90008703)。 
  • 宮城篤正『空手の歴史』ひるぎ社〈おきなわ文庫〉、1987年9月15日。(全国書誌番号):(88014010)。 
  • 仲本政博『沖縄伝統古武道』文武館、1989年4月5日。 

関連項目

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