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鎌倉シネマワールド

鎌倉シネマワールド(かまくらシネマワールド)は、松竹が創業100周年を記念して、1995年10月10日に開設した体験型テーマパークである[2][3]神奈川県鎌倉市大船にあった松竹大船撮影所内に開設された[4]「カルチャーテインメント」(カルチャーとエンターテインメントの合成語)をコンセプトとした映画テーマパークであり、松竹が運営していた。当初は話題を集めたが、開設2年目以降入場者が減少し、開設3年後の1998年12月16日に閉館した[5]

鎌倉シネマワールド
Kamakura Cinema World
施設情報
前身 松竹大船撮影所
テーマ 映画
キャッチコピー 「カルチャーテインメント」
事業主体 松竹
管理運営 松竹
面積 27,892 m²
開園 1995年10月10日
閉園 1998年12月16日
所在地 神奈川県鎌倉市大船6丁目1-1
(テンプレートを表示)
鎌倉シネマワールド
情報
用途 テーマパーク
旧用途 撮影所
設計者 MD設計事務所
施工 大成建設、井上工業、大林組西松建設
共同企業体
建築主 松竹
事業主体 松竹
管理運営 松竹
構造形式 鉄骨構造地上2階 地下2階
敷地面積 23,389 m² [1]
建築面積 13,379 m² [1]
延床面積 27,892 m² [1]
階数 地上2階地下2階
高さ 15m
着工 1994年6月
竣工 1995年8月
開館開所 1995年10月
所在地 神奈川県鎌倉市大船6-1-1
備考 1998年12月16日に閉館。
(テンプレートを表示)


施設

地上2階地下2階建て、延べ約28,000平方メートルの敷地内に[1][注釈 1]、「日本映画ゾーン」「アメリカンシネマゾーン」「フューチャーゾーン」の3つのテーマゾーンが設けられている[2]


日本映画ゾーン

1階は「日本映画ゾーン」である。

男はつらいよ』のセットを実物大やミニチュアで再現する他、時代劇の町並みを再現した「時代街」、小津安二郎の映画撮影シーンのセットなど、映画の歴史や仕組みなどを体験できるコーナーが設置されていた[2]

この他、歩行型および3Dサウンドシステム採用型の2種類のお化け屋敷などのアトラクションがあった。松竹の役者による忍者ショーや殺陣のショーでは室町大助率いる劇団☆冗談パラダイスの時代劇チャンバラショーが定期的に公演されていた。 余談だが室町は施設内「大統領のクリスマスツリー」の女性モデルと、イベントないで新郎役を披露することもあった。


アメリカンシネマゾーン

2階は、黄金期の古き佳きハリウッドの町並みを再現した「アメリカンシネマゾーン」である[2]。鎌倉シネマワールドは構造上、エントランスを抜けると、このゾーンに入る設計となっていた。

「アメリカンシネマゾーン」には、オープン当初あから、アメリカ直輸入のディズニーキャラクターショップや回転木馬が設置されていた[2]。 この他SFX(ブルーバック合成)をリアルタイムで体験できるアトラクション「シネマ・スタジオ」をはじめ、ライド型アトラクション「ファンタジックシネマライド」などがあった。


フューチャーゾーン

3階は、未来宇宙世界をテーマとした「フューチャーゾーン」である。このゾーンは当初「未来ゾーン」と呼ばれていた[2]

このゾーンには、ライド型アトラクション「アドベンチャーフライト」や、宇宙人型ロボットによるショー「スペーススタジオ」などがあった。 また、このゾーンには、日本マクドナルドも未来宇宙をテーマとした店舗を出店していた。


キッズランド

屋上階には、『トムとジェリー』といったアメリカンアニメのキャラクターを中心とした子どものためのプレイランド「キッズランド」があった。 キッズランドには、オープン半年後の1996年4月27日にはビデオシアターである鎌倉サテライトシアターがオープンした[6]。1998年の『映画館名簿』によると、鎌倉サテライトシアターは79席で邦画・洋画ともに上映するシアターである[7]


歴史

松竹創立100周年記念事業として松竹大船撮影所の敷地内に建てられ、1995年10月10日にオープンした。総事業費は150億円。“永遠に完成されることのないワールド”として、建築確認申請にあたっては、将来の改装・改造を前提にセットとして許可を得ていた。

1995年の開園前後に松竹から販売されたビデオソフトには、シネマワールドの紹介CMや撮り下ろしのコーナーが収録されているものもある。それらには当時松竹の看板女優だった羽田美智子が出演している。松竹系映画館でも、予告前に羽田が「行こうよ! 鎌倉シネマワールド!」とカメラ目線で呼びかけながら施設内を行くコマーシャルを頻繁に上映していた。

しかし、オープンから2年目(1996年)以降は、『男はつらいよ』主演の渥美清死去もあり、入場者数は激減。1998年2月期の決算では16億円もの巨額な赤字を出し、営業も困難なため1998年12月15日に閉鎖された。


跡地・設備利用

  • 2003年、跡地を鎌倉女子大学が取得。近隣の岩瀬キャンパスから大学と短期大学部を移転させ、同校の大船キャンパスとなっている。キャンパスの一部に、シネマワールド時代の看板が残されていたが、2010年代に保存のため撤去された。


参考文献

  • 松竹・永山武臣 編『松竹百年史』(本史)松竹、1996年11月、755頁。 NCID BN15512362。 
  • 山内静夫『松竹大船撮影所覚え書:小津安二郎監督との日々』かまくら春秋社、2003年6月、130頁。 NCID BA62731439。 
  • 「作品 鎌倉シネマワールド / M・D建築設計事務所」『近代建築』第49巻第12号、近代建築社、1995年12月、61-68頁、ISSN 0023-1479、doi:10.11501/6046654。 
  • 「映画の過去・未来 鎌倉シネマワールド、来月オープン/神奈川」『朝日地域』、1995年9月23日。
  • 「俳優たち迎え華やかに開館 鎌倉シネマワールド/神奈川」『朝日新聞』、1995年10月12日。
  • 「「人が来なくちゃおしまいよ」 鎌倉シネマワールド、閉館へ 松竹」『朝日新聞』、1998年11月11日、34面。
  • “不況下「お荷物」重く 地元に衝撃 鎌倉シネマワールド閉館/神奈川”. 朝日新聞. (1998年11月11日) 


脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『松竹百年史』では地上2階地下2階建ての建造物であるとされているが、山内静夫『松竹大船撮影所覚え書:小津安二郎監督との日々』では、地上3階建てであるとの記述がある。

出典

  1. ^ a b c d 松竹 1996.
  2. ^ a b c d e f 朝日地域 1995.
  3. ^ 朝日地域2 1995.
  4. ^ 朝日地域 1998.
  5. ^ 朝日二社 1998.
  6. ^ 『映画年鑑 1997年版』時事映画通信社、1996年。 
  7. ^ 日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 1998 別冊 映画館名簿』時事映画通信社、1997年、36頁。 


外部リンク


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