鍋島 直賢(なべしま なおさが)は、肥前鹿島藩の第12代藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の実弟。諱の読みは「なおかた」ともいわれる。
生涯
天保5年(1834年)6月11日、佐賀藩第9代藩主・鍋島斉直の二十八男として佐賀城で生まれる。母は側室の石井氏。天保10年(1839年)に第11代鹿島藩主・鍋島直晴(従兄にあたる)が死去したため、天保11年(1840年)5月28日にその養子として家督を継いだ。藩政では水害などの天災に悩まされ、その救済における出費などで財政難に陥った。このため、本家の藩主で実兄である直正の介入を招き、嘉永元年(1848年)9月14日には直正の命令で若くして強制隠居させられ、後継者には養子の直彬(先々代藩主であった直正・直賢の実兄直永の子)が迎えられた。
以後、直賢は病気療養として花岡山の別荘で過ごすことになり、安政6年(1859年)9月23日に死去した。享年26。
系譜
父母
養子