地理
鉄嶺市は遼寧省北部、松遼平原の中央に位置し、南は瀋陽市・撫順市、北は吉林省四平市、東は撫順市清原満族自治県、吉林省遼源市と接する。西は瀋陽市法庫県・康平県、内モンゴル自治区通遼市ホルチン左翼後旗である。
歴史
春秋戦国時代は東胡の居住地であり、燕の恵王により遼東郡が設置された[要出典]。漢代の遼東郡望平県に比定される[2]。唐代は渤海が越喜靺鞨の勢力地を支配下に治め富州(現在の鉄嶺城)と改称された。遼により富州は銀州と改称され、金代に新興県は存続する[3]。元代に新興県は廃止され、咸平府に編入された。明代になると鉄嶺市の南に鉄嶺衛が設置されたが、後に鉄嶺衛は北に移転された[2]。
1664年に清朝により鉄嶺衛が廃止され鉄嶺県(tiyeliyen hiyan)が設置され、盛京将軍奉天府に属した[2]。日露戦争後には日本人居留地が増加し、日本軍の駐屯も実施された。1914年に奉天省遼瀋道に編入された。
民族
漢族・満族・朝鮮族・蒙古族・回族・シベ族・ウイグル族・オロス族など31民族が住む[1]。開原市と西豊県は少数民族が多く、それぞれ54.5%と40.8%を占める[要出典]。満族は開原市と西豊県に多く、朝鮮族は開原市と鉄嶺県・清河区・銀州区に多い[要出典]。
行政区画
鉄嶺市の市街区から南南西11キロ離れたところに新区(鉄嶺県凡河新区)の建設が進んでおり、以前銀州区市政路にあった市政府は2010年から新区のダイヤモンド広場(鑽石広場)・如意湖前に移転していて、旧市政府の建物は銀州区政府の建物になっている。
2011年に瀋陽市・撫順市とともに市の電話区域番号は024-になった。
2市轄区・2県級市・3県を管轄する。
年表
鉄嶺専区
- 1955年11月11日 - 鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県・新賓県・清原県を編入。鉄嶺専区が成立。(8県)
- 1956年5月23日 (8県)
- 撫順市(撫西区)・(章党区)の各一部が鉄嶺県に編入。
- 撫順市章党区の一部が清原県に編入。
- 撫順市(五龍区)の一部が新賓県に編入。
- 1956年7月3日 (8県)
- 撫順市章党区の一部が鉄嶺県・清原県に分割編入。
- 撫順市撫西区の一部が鉄嶺県・清原県に分割編入。
- 1958年12月20日
- 鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県が瀋陽市に編入。
- 新賓県・清原県が撫順市に編入。
鉄嶺地区
- 1968年12月26日 - 瀋陽専区が鉄嶺専区に改称。(7県)
- 1969年12月18日 - 新民県が瀋陽市に編入。(6県)
- 1970年7月13日 - 鉄嶺専区が鉄嶺地区に改称。(6県)
- 1979年8月30日 - 鉄嶺県の一部が分立し、鉄嶺市が発足。(1市6県)
- 1981年9月21日 - 鉄嶺県・法庫県のそれぞれ一部が合併し、鉄法市が発足。(2市6県)
- 1984年6月30日
- 鉄嶺市が地級市の鉄嶺市に昇格。
- 鉄法市・鉄嶺県・開原県・西豊県・昌図県・康平県・法庫県が鉄嶺市に編入。
鉄嶺市
経済
石炭・電力・冶金・機械工業・化学などの重工業が発達している[6]。中華人民共和国による解放後、鉄鋼工場が建設された[7]。
全市粮食生産量は25億キロ、うちトウモロコシが20億キロで全省生産量の三分之二を占める[要出典]。トウモロコシの副産物であるフルフラールの中国最大の工場がある。また牧畜業も盛んで、牛肉・豚肉・鹿肉・羊肉などを生産する。
農産物・綿布の集散地でもあり、町から出荷される鉄嶺綿布が有名である[3]。
教育
大学
- (遼寧職業学院) (中国語ウェブサイト)
観光
次のような見どころがある。
- 銀岡書院(清朝からの教育機関、周恩来も幼時にここで学んだ)
- 鉄嶺大劇院(中国の漫才・二人転が毎晩演出され、趙本山もここで出発した)
- 唐代に建立された円通寺の白塔
- 李成梁の春花楼
- 龍首山・龍尾山公園
- 明の洪武年間(1368年 - 1398年)に建設された城壁[3]
- 柴河水庫(1974年に竣工したダム)
銀岡書院
鉄嶺大劇院
龍首山風景区の入り口
柴河水庫
出身者
友好都市
脚注
参考文献
- 押野昭生「鉄嶺」『アジア歴史事典』6巻収録(平凡社, 1960年)
- 『精選中国地名辞典』(塩英哲編訳, 凌雲出版, 1983年3月)
外部サイト
- 鉄嶺市人民政府(中国語)