鈴木 重義(すずき しげよし)は、江戸時代前期の水戸藩士。水戸藩初代藩主徳川頼房の十一男で、徳川光圀の異母弟にあたる。紀州雑賀衆の裔、雑賀党鈴木氏を相続した。
略歴
寛永11年(1634年)誕生。母は興正寺門主准尊の長女・耶々(石山本願寺顕如の曾孫)。幼名は仙千代、武蔵。養子になった後は通称を孫三郎、孫一。
雑賀衆の裔である鈴木重朝は徳川頼房に仕え、子の重次が跡を継いだが、重次には男子がなく、重義が婿養子となった。寛文4年(1664年)、重次が死去したため家督を相続した。禄高は3千石、大番頭に准じられた。寛文7年(1667年)、大番頭となり、与力を付けられる。寛文8年(1667年)3月、徳川光圀の江戸参府に従って上京し、4代将軍・家綱に拝謁する。9月、35歳で死去した。墓は浄光寺。
雑賀鈴木家は重義の代までは禄高3千石の家老格であったが、重義の跡を継いだ養子・(重春)(鈴木重朝の次男(重信)の子である(重井)の子)が幼少であったことや、家人の不行跡により、禄高は600石となった。以後も重臣層として、明治維新に至る。
参考文献
- 「水府系纂」15巻