鈴木 貢父(すずき こうふ)は、江戸時代中期から後期にかけての儒学者・藩医。盛岡藩初の儒医となった。諱は歛。小屋瀬鈴木家の一族。
略歴
享保17年(1732年)8月6日、現在の岩手県葛巻町小屋瀬にて鈴木助十郎の六男として誕生。兄の鈴木喜右ェ門の次男に、絵画文学に秀でた鈴木伝七(耕水)がいる。貢父は初め主税、後に新蔵と称し、諱は歛であった。
宝暦12年(1762年)に京都に遊学して(香川南洋)の教えを受け、寛政8年(1796年)から盛岡藩初めての儒医(儒学者と藩医を兼ねる)として仕えた。師の南洋に習い束髪帯刀姿とし、医学の専門家として本道(内科)を得意とした。著書に「治国法言」「儒医苗字帯刀御免創始由来記」などがあり、政治に関心があった。前妻に三好氏の娘、後妻に遠藤氏の娘があり、子は三好氏との間に重之など1男3女があった。
参考文献
- 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町誌〈一巻〉』1987年。
- 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町郷土史年表』2005年。
- 藤岡一雄『くずまき歴史散歩』。