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野村謙

D1ドライバー 野村謙
生年月日1965年5月19日
マシン 日産・スカイライン(ER34)
所属チーム BLITZ
初参戦 2001年 第1戦
最高位 シリーズランキング2位(2006)

野村 謙(のむら けん、1965年5月19日 - )は、福岡県出身の元D1ドライバー(初代D1選手会長)、実業家ユーチューバー。愛称は「のむけん」。血液型A型。

略歴・人物

日本初のワークスドリフトドライバーとして知られ、「ドリキン」こと土屋圭市とは師弟関係(息子の名前を「圭市」にするほど。ちなみに息子の圭市は学業の傍らスポッターとして父のレース活動に帯同したほか、全日本学生ドリフト王座決定戦いかす走り屋チーム天国に参戦した。2019年からはD1ライツシリーズにも参戦)にあり、他にもモータースポーツ界の著名人とも交友関係がある。地元の福岡を中心に度々テレビ出演しており、車に鉛筆を装着して鉛筆削りに挑戦したり、風船を割るなどのパフォーマンスを披露した。ビデオ雑誌『ビデオオプション』(以下「V-OPT」)や『ドリフト天国ビデオ』の出演が多く、レポーター役として抜擢される事も多い(『すごいよ!オサルさんspecial』等[1])。

現在は大野城市のチューニングショップ「URAS」の代表取締役を務める。

V-OPTには『いかす走り屋チーム天国』(以下「いか天」)時代から出演している。アメリカのモータースポーツ事情とは縁が深く、V-OPTの遠征企画で、トレインカーレースやダートオーバル、ミジェットカーレースへの出走経験もある。2016年オートサロンで選手会長の役を降りた。

2020年6月20日、YouTubeチャンネル「ユニバー猿スタヂオ博多 byのむけん」を開設、動画投稿を開始した[2]

ドライビングスタイル

大量にタイヤスモークを発生させ、ドリフトアングルを大きく傾ける走行で『白煙番長』の異名を持つ。ハンドルを全て回しきる進行方向調整は、非常に高度なテクニックである。ドリフトに対する姿勢は真摯で、自己流のテクニック上達法を雑誌やビデオを通し後世に伝えている。

D1ドライバーとして

全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)には初年度から、パーツメーカー「BLITZ」と共に参戦。独特な口調の博多弁の明るいキャラクターに、白煙番長と呼ばれる派手な走行スタイルで、永くD1人気投票の1位を獲得していた。

彼が使用したのはR34スカイライン、車種はGT-Rではなく4ドア車(ER34型スカイライン)であった。車両の選定は当時BLITZ社員でチーフメカニックだった(阿部成人)の判断。GT-Rやクーペモデルに比べると、4ドアモデルの走行性能面の評価は高くはなかったが、野村のD1における活躍も相まって以降は中古市場における価格が高騰した。エアロパーツは野村が経営する「URAS」(ユーラス。由来はあだ名の「」のローマ字表記を逆さにしたもの)製を装備。リアウイングは当初装着していなかったものの、後の高速化に対応するためウイングが装着された。

初年度~2004年前半までは準優勝が何回はあるものの、優勝になかなか届かなかった。しかし、2004年第2戦SUGOにて投入された04年仕様車で、主に追走での強さを発揮し、第3戦エビスにて、日比野哲也をサドンデスの末に下して初優勝。

2006年は、シーケンシャルミッションを投入するなどの効果が表れ、シーズン最多タイの2勝を上げ、熊久保信重風間靖幸とタイトルを争う。しかし、タイトル争いの最中に行われたV-OPTの企画、「自動車サッカー」の収録中に右手首の靱帯を負傷する不運に見舞われる(ちなみに、この自動車サッカーには熊久保と風間も参加していた)。それでも最終戦まで熊久保と僅差の争いを繰り広げたが、僅か1ポイント差で破れランキング2位となった。

2008年までに、D1グランプリでは4勝を上げている(2004年第3戦、2006年第2戦・第4戦、2007年第5戦)。これに加え、エキシビジョンで2度優勝経験がある(2004年お台場オールスター、2006年ワールドオールスター)。

2012年のD1グランプリ第4戦よりスカイラインから(2JZ-GTE)エンジンを換装したトヨタ・86に乗り換えてD1GPに参戦。2014年よりラブライブ!痛車仕様、2015年からは再びER34(ラブライブ!の痛車仕様)を駆り、 2017年以降はの痛車仕様で参戦した。なお、ラブライブ!痛車では、フロントガラスを塞ぎ、前が見えなくした状態で実際のD1コースでドリフトする「目隠しドリフト」を披露している。

2018年のシリーズをもってD1選手生活を終了した[3]。選手引退後は、圭市の監督や審査員、レポーターとしてD1での活動を行っている。

エピソード

  • 元野球少年で運動神経は高く、高校へはスポーツ特待生として入学したという。
  • 九州産業高校卒業後、小柄な体格を生かし競艇選手の養成学校である競艇学校に入学したが、あまりの厳しさについていけず退学したという。のちにビデオオプションの取材(水上のドリフト)で退学した同校を訪れている。
  • いかす走り屋チーム天国に初めて出た際、ジャージ姿に加藤茶風のカツラを付けた服装で参加し、土屋圭市に「番組を間違えている」と言われたが、その走行テクニックに審査員全員が驚いた。
  • 以前は野村建装という内装設備会社の社長を務めており、CROSSというチームを率いていた。チーム名の由来については「ウチは内装屋やけん、クロス張りのクロスです」と答えていた。ビデオオプションでは福岡空港の内装工事を担当したと紹介されている。
    • CROSSは野村が離れた後もチームとしての活動を続け、野村が審査員として参加した「いか天」に出場したことがある。このときのチームリーダーは4代目。
  • 自身のサインには、サルとモグラを足した様なキャラクターが描かれていることが多い。また、ドラえもんをパロディしたノムえもんも存在する。
  • URAS名義で発売している「タツノオトシゴ」「ノムの箱舟」「イモようかん」といったパーツの個性的なネーミングは、自身の感覚で決めている。
  • 2004年度D1グランプリ第4戦(大分県オートポリス開催)での選手紹介では転倒したものの、バック転を披露したことがある。
  • R31スカイラインのクーペ用のエアロパーツは、R31型が持つ直線基調のスタイリングに本人が惚れこみ、R31HOUSE柴田店長と激務の合間を縫って開発し、2007年の同店イベントにて披露された。
  • ズームイン!!SUPER』の達人特集で「運転の達人」として紹介された時、アナウンサーから右手の靭帯損傷箇所[4]を指摘された際は「家庭でバトルがあって」と返答した。
  • 自身のショップ「URAS」を開店した日(1996年6月13日)、道を挟んだ向かい側にある福岡空港で事故(福岡空港ガルーダ航空機離陸事故)があり、取材陣の多さに「ウチのショップの取材かと思ったら事故だったとですよ」と語った。
  • アメリカでダートストックカーレースに参戦した際、練習走行中にステアリングが外れクラッシュしてしまった。(マシンに大きなダメージは無く決勝に出場した)
  • やはりアメリカでトレインカーレースにも参戦した。3台のうち最後尾に乗ったが、走行中にステアリングが乱れて左右に大きく振られてしまい、タイヤが外れてしまった。その後ビデオオプションが日本に輸入したトレインカーレースでは、熊久保とチームを組んで優勝している。
  • 動物園のチンパンジーと遊んでいる動画をアップしたところ、好評でニュースの特集にも取り上げられていた。なおその時はD1ドライバーではなく名前の出ない一般人として紹介されていた。
  • 「いか天」業界人大会に審査員兼出場者として参加した際、個人走行で直前の大雨により審査員席前にできた水たまりに突っ込み、審査員に泥水をかけた。その際の得点はマイナス100点。

テレビ出演

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 因みに、この企画の名前は少年ジャンプの漫画『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(うすた京介作)のパロディである。
  2. ^ “YouTube”. www.youtube.com. 2020年7月2日閲覧。
  3. ^ https://twitter.com/_n_o_m_u_k_e_n_/status/969163348334985222
  4. ^ ビデオオプションでの(自動車サッカー)収録時に負傷

外部リンク

  • 野村謙 (@_n_o_m_u_k_e_n_) - Twitter
  • ユニバー猿スタヂオ博多 byのむけん - YouTube
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