重松 潔(しげまつ きよし、1893年(明治26年)7月14日[1] - 1944年(昭和19年)7月26日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
1885年(明治18年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、関東軍第2下士官候補者隊長に就任[2]。1939年(昭和14年)に(歩兵第234連隊)長に転じ[2]、日中戦争に出動。宜昌作戦、予南作戦などで戦果を収めた[1]。1941年(昭和16年)に第7師団司令部附となり、北海道帝国大学配属となる[2]。
1943年(昭和18年)に陸軍少将に進級し[2]、第11歩兵団長に就任[1]。1944年(昭和19年)5月27日に独立混成第48旅団長に転じ、グアム島に出征[1]。7月の米軍上陸に善戦敢闘したが[1]、7月26日に玉砕[2]。同年9月30日、陸軍中将に進級[3]。
栄典
- 勲章