那珂湊市(なかみなとし)は、かつて茨城県県央地域にあった市。1994年11月1日に勝田市と合併し、ひたちなか市となり消滅した。
なかみなとし 那珂湊市 | |
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那珂湊おさかな市場(2009年11月20日撮影) | |
廃止日 | 1994年11月1日 |
廃止理由 | 新設合併 那珂湊市、勝田市 → ひたちなか市 |
現在の自治体 | ひたちなか市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
市町村コード | 08209-0 |
面積 | 25.65km2. |
総人口 | 32,303人 (1994年) |
隣接自治体 | 水戸市、勝田市、東海村、大洗町 |
那珂湊市役所 | |
所在地 | 茨城県那珂湊市和田町2-12-1 |
座標 | 北緯36度20分42秒 東経140度35分59秒 / 北緯36.34508度 東経140.59983度座標: 北緯36度20分42秒 東経140度35分59秒 / 北緯36.34508度 東経140.59983度 |
ウィキプロジェクト |
地理
隣接していた自治体
歴史
沿革・歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行、那珂郡湊町設置。
- 1913年(大正2年)12月25日 - 茨城交通湊線の那珂湊駅開業。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 湊町が町名を変更、那珂湊町となる[1]。変更理由は、同名の町[注釈 1]が他に存在しない町名にすることで、通信、交通、商取引における不便を解消するためである[2]。
- 1954年(昭和29年)
- 1971年(昭和46年) - 薄井与兵衛市長のリコールが成立。出直し市長選で薄井三郎が当選[3]。
- 1994年(平成6年)11月1日 - 勝田市と合併しひたちなか市となり、消滅。
行政区域変遷
※細かい境界の変遷は省略
- 変遷の年表
那珂湊市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧那珂湊市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足[4]。 |
1939年(昭和14年) | 4月1日 | 湊町が町名を変更、那珂湊町となる。 |
1954年(昭和29年) | 3月30日 | 前渡村の一部(前浜)は那珂湊町に編入。 |
3月31日 | 平磯町は那珂湊町に編入。
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1994年(平成6年) | 11月1日 | 那珂湊市は勝田市と合併し、ひたちなか市が発足。那珂湊市は消滅。 |
- 変遷表
行政
歴代市長
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[5]。
教育
高等学校
中学校
- 那珂湊市立那珂湊中学校
- 那珂湊市立平磯中学校
- 那珂湊市立阿字ヶ浦中学校
小学校
- 那珂湊市立湊第一小学校
- 那珂湊市立湊第二小学校
- 那珂湊市立湊第三小学校
- 那珂湊市立平磯小学校
- 那珂湊市立磯崎小学校
- 那珂湊市立阿字ヶ浦小学校
図書館
- (那珂湊市立図書館)
交通
道路
鉄道
港湾
- 那珂湊漁港
- 磯崎漁港
神社仏閣
脚注
注釈
出典
- ^ a b ひたちなか市史編さん委員会 2004, p. 435.
- ^ ひたちなか市史編さん委員会 2004, pp. 435–436.
- ^ 「出直し市長選も波乱 同姓同名の候補 本人知らぬ間?に届出」『中國新聞』昭和46年7月10日7面
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 533-536頁.
参考文献
- ひたちなか市史編さん委員会 編『那珂湊市史 近代・現代』ひたちなか市教育委員会、2004年。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。